Interlude 1 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴、それ何書いてるの?日記?」 「立希さん」 学校の中庭のベンチに座り、スマホを操作する海鈴に立希が話しかける。 「これは、そうですね……日記ですね。主に立希さんとのことを書いています」 「私の?」 「はい。いつでも思い出せるように」 「……それって毎日書いてるの?」 「まあ、嬉しいことや楽しいことがあった日などは──」 突然、海鈴の唇に柔らかな衝撃が伝わる。一瞬の暗がりの後、キラキラとした光が──立希の艶やかな睫毛に反射した陽の光が、眼前に広がっていく。 「これで、今日の分書ける?」 「──はい。というか、最近はほぼ毎日書いてます……立希さんのおかげで」 「私も、海鈴と過ごせて毎日幸せだよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ Interlude 2 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「八幡さんステージチェックお願いします」 「はい、只今」 スタッフに声をかけられた海鈴は、手に持ったスマホを机の上に置き、サッと楽屋裏から出ていく。 「(あれ?海鈴ちゃん、スマホのロックかけ忘れてる……)」 先ほどまで海鈴のすぐ後ろで衣装の調整をしていた初華が、机に上の──未だ画面が点灯しているスマホに気づく。 「(今は他に人いないけど……一応ロックしといたほうがいいよね)」 そう思いながらスマホのスリープボタンに手を伸ばした初華の目に、不意に画面上の文字列が映る。 「(これって小説……じゃなくて日記?)」 罪悪感を覆った好奇心が、初華の指を動かす。指先が画面を滑るたび、多幸感に溢れた甘味のような文章が次々と流れていく。 「(……これは、2人が紡いできた──ううん、これからも紡いでいく詩なんだね)」 画面の消灯したスマホを机の上にそっと置くと、初華は目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。 「(私には祥ちゃん、海鈴ちゃんには──)」 初華は微笑みを浮かべながら楽屋を後にする。普段学校でよく目にする、見知った2人の幸せそうな姿を思い出しながら。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『音だけで』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴お前、Ave Mujicaって知ってる?」 お昼休み。海鈴は立希に声をかけられた。 「……最近メジャーデビューしたバンドですよね?そのバンドがどうかしたのですか」 「いや、別に大した話じゃないんだけど……」 もしやティモリスの正体がバレたのか?と海鈴は身構えたが、違うようだった。仮面をつけていると、さすがの立希でも自分を見つけられなかったか……と安堵と落胆の気持ちが海鈴の中で混ざる。 「曲はなかなか良かった」 バンドメンバーがライブに行くと騒いでいたので知った、と立希が言う。寸劇をやるようなグループはバンドとして認めない、とも言うのを聞いて、海鈴は思わず苦笑した。 「特にベースが良かった。ドラムもヘタな方じゃないんだろうけど、ベースがしっかり支えて全体の安定感を作ってる感じ」 「……そうなんですか」 想定していないタイミングで急に褒められ、海鈴は若干言葉につまづいてしまった。 「何?悔しい?」 「……いえ、そういうことではありません」 「可愛くないやつ」 そこで会話は終わり、海鈴は教室を出た。その顔は、いつもよりも若干ゆるんでいた。 ──後日、ティモリスの正体発覚の後、真っ赤な顔で海鈴を睨む立希の姿が学校で目撃された。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『見つける相手』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ティモリスティモリスうるさいんだけど」 そう言って立希は鞄と楽器ケースを海鈴に渡した。 「私を見つけてくれたのは貴女だけですよ」 「はあ?三角さん放っておいて何言ってんの」 海鈴の照れ隠しの発言を意に介さず、クラスメイトからの質問ぜめに追われる初華へ心配を寄せる立希。 「三角さんはもともと顔出しで活動しているので、こういうのもお手のものだと思われます」 「それは海鈴もでしょ」 多くのバンドを掛け持ちする海鈴は界隈ではそこそこ名が知られており、特にディスラプションの海鈴として今回の騒動でもよく話題に上がっていた。 「演奏のことでならまだしも、仮面を外したぐらいで騒がれても、とは思いますが」 表情を崩さず、いたって真顔で皮肉めいたことを言う海鈴に苦笑しながら、立希は視界に彼女のその顔を収める。 「私にとっては仮面をつけても取っても関係ない」 「?」 「今までも、これからも、ずっと八幡海鈴を見てるから──」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『週5』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「数学のノートは?」 昼下がりの学校の中庭。立希はベンチで隣に座る海鈴に自分のノートをいくつか差し出していた。 「いりません。数学得意なので」 「あっそ」 まさかあなたにノートを見せてもらう日が来るなんて──と、いつものように軽口を叩きながら海鈴はノートを写真に収めていく。 「いつもより丁寧に板書したんだ。海鈴のために」 えっ──と少し驚いて海鈴は視線を移す。 立希の頬は少し赤らみ、目はまっすぐに海鈴を見ていた。 「私は週5で海鈴の顔見れるけど……海鈴はそうじゃないでしょ?──もっと私を近くに感じていて欲しい」 「立希さん……!」 それは紛れもなく、愛の告白だった。 「で、数学は?」 「……お貸しいただけますか?」 海鈴はゆっくりと丁寧にノートの写真を撮り、立希はその横顔をずっと見つめていた。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『ティモリスの仮面』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴の仮面は、口元だけなんだ」 中庭。ノートの写真を撮っている海鈴に、隣に座る立希が話しかける。 「ええ、それがどうかしましたか」 「いや、海鈴の綺麗な目が隠されなくて良かったなって」 スマホを持つ手が一瞬硬直する。 「目が……隠されては、前が見えませんので……」 突然言われた言葉に動揺して的外れな返答をする海鈴に、身体を向き直して立希が微笑む。 「名前は忘れたけど、仮面をとったあいつの言う通り──ティモリスは綺麗な顔だし、特に目元とその表情が素敵だと思う」 「……ありがとうございます」 綺麗な顔。舞台上でアモーリスから言われた時や、意趣返しとして祐天寺に対して自賛した時はなんとも思わなかった海鈴。だが今は── 「もしかして、今私口説かれてますか?」 立希は少し強張っている海鈴の顔に手を添え、そのまま唇を奪う。 「仮面つけてなくて良かった」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『テイクアウト不可』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「……いらっしゃいませ」 バイト先にやってきた海鈴の顔を見て立希は顔をしかめた。 「接客業なのにスマイルが足りていませんね」 「こちらお冷やです。ご注文どうぞ」 「アイスココアにケーキセット、それとテイクアウトで立希さんをお願いします」 「ウチそういうサービスやってないんで。ココアとケーキ少々お待ちください」 海鈴の発言の大半を無視して、立希はそつなく自分の業務を行った。 ちょうどピークが過ぎたタイミングだったのだろう、店内の客は海鈴だけ。表に出ているスタッフも立希1人だけだった。海鈴がちょっとした2人きり気分を味わっていたところ、トレイを持って立希がテーブルに近づいた。 「ご注文のブレンドとケーキです、それから──」 テーブルにのせていた海鈴の手を、立希の手のひらが覆う。驚いた海鈴が顔を上げると、立希はすっと顔を近づけ、唇を重ねた。 「こちらは店内でお召し上がりください」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『ほっとけない』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「明日は絶対練習来いよ!」 「んー」 中庭で立希と楽奈が言い争いをしていた。厳密には立希が一方的に喋っていただけのようだったが。 「何見てんの」 去っていく楽奈と入れ替わるように現れた海鈴に対し、立希は不機嫌な態度のまま声をかける。 「要さんといい高松さんといい……立希さんは相変わらず、天然系というか不思議系の女の子が好きですね」 「自己紹介?」 発言の意味がよく分からないでいる海鈴をよそに、立希は頭をかきながら少し恥ずかしそうに言う。 「別にそういうタイプが特別好きってわけじゃなくて……こう、ほっとけなくなるっていうか……」 「そうですか」 はあ、とため息をついた立希が、海鈴の横を通り過ぎて教室に戻ろうとした。すれ違う一瞬、海鈴の小指に触れながら、耳元で囁く。 「一番ほっとけないのは海鈴だけどね」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『生きて燃えて』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「で?どうなのバンド」 「燃え尽きる前の線香花火みたいですね」 Ave Mujicaの現状について立希に聞かれた時、海鈴はそう答えた。今まで数々のバンドを掛け持ちしてきた、それらが終わる瞬間も見てきた海鈴にとって、終わることは特別なことではなかった。例えそれがメジャーデビューしたての新進気鋭のバンドであっても。 「よくあることです」 「そっか……」 海鈴の考えを慮ってか、いつもなら軽口で返す立希の口が今は少し重かった。 「立希さん、私いまとても楽しいです。バンドもそうですが……貴方と──」 「いつかは終わるよ」 告白じみた海鈴の言葉を遮るように、立希が冷たく言い放す。海鈴は視界が一瞬暗くなるような感覚を覚えた。 「だけど私たちは──星だよ」 「星?」 「終わる瞬間の光で、何万光年も何億光年も離れたところまで照らす星」 おそらく天文部の友人からの受け売りだろうその話は、しかし立希がまっすぐに見つめる先の、海鈴のその瞳に光を照らした。 「私たち2人の時間は、2人の音楽は──燃え尽きてもずっと輝き続ける」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『好きなものより好きなもの』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「私、パンダの着ぐるみパジャマが似合うと思うんですけれど」 「はあ?」 校内の自販機で飲料を購入していた立希は、横からあまりに唐突な話を海鈴からぶつけられ唖然とした。 「立希さん、パンダお好きですよね?」 「いや、別に……嫌い……じゃないっていうか、人並みには好……っていうか……」 そう言いながら立希は自販機から紙パック──パンダのイラストが描かれたそれを、なるべくパッケージが海鈴に見えないよう手に取った。 「私、結構美人系の顔立ちしてるので、着ぐるみパジャマなど着れば、ギャップでかなり良い感じになると思います」 「知らないけど……」 普段、あまり表情を変化させない海鈴であったが、立希のあまりに無関心な物言いに、ほんの少しだけ眉を落とした。 「まあでも」 飲み物を持ってその場を離れようとする立希。海鈴の側を通る一瞬、彼女の髪を優しくかき上げながら呟く。 「私は海鈴そのものが好きだから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『ご褒美』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「なんでお前ら2人が一緒なんだよ…」 RiNGのカフェ、楽奈と海鈴の2人がテーブルから立希を見上げている。 「偶然そこでお会いしたもので」 「まっちゃ、あとりっきーにごほうび」 「だそうです」 表情の読めない2人を相手取るのが面倒になった立希は、早々に接客モードで対応する。 「……野良猫はいつもの抹茶パフェでいいな。海鈴は?ココアでいい?」 「照れ隠し〜」 「ホットでお願いします」 店内の人入りはまばらで、全体にゆったりとした雰囲気が漂っていた。カウンター奥で準備をしている立希の姿を、2人はなんとなしに見続けていた。 「こちら抹茶パフェで──」 「まっちゃ!……うまいうまい……」 「おい!」 運ばれてきた抹茶パフェを半ば強引に奪い、すぐに味わい始める楽奈。おそらくいつもこの様なやり取りをしてるのだろうと思い、海鈴の口元がわずかにゆるむ。 「はあ……こちらホットココアです。ごゆっくり」 そうしてサッとカウンターへ戻っていく立希だったが、コーヒーを置く際にさりげなく海鈴の小指に触れていたのを、楽奈に横目で見られていた。 ──その後、自分の小指を愛おしそうにしてコーヒーを飲む海鈴を見ながら、抹茶パフェを楽しむ楽奈の姿があった。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『分析』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ (高松さんは……立希さんのことが好き) 立希さんは口数の少なく、おどおどしがちな彼女のことをよくサポートしている様ですし、日常的にそんな騎士様みたいな真似をされたら好きになってしまいます。それに時折立希さんの慌てる姿を見てるようですが、ギャップでやられるかと思います。 (長崎さんは……立希さんのことが好き) 同じバンドのリズム隊として日々立希さんのドラムの音を聞いてるならば、その魅力にやられているはずです。メンバーの中ではしっかりもの担当の彼女ですが、他と比べて抜群に頼りになる立希さんのことをお慕いしていてもおかしくありません。 (豊川さんは……立希さんのことが好き) わざわざ立希さんを指名してバンドに誘うなんて、彼女のことを好きでなければしないはずです。それにバンドのために時にキツい物言いになる立希さんみたいなタイプは、箱入りのお嬢様にとって恋の劇薬です。 (若葉さんは……立希さんのことが好き) 寡黙な彼女のことを立希さんはいつも気にかけていたようですが、そんなふうに自分のことを思ってくれる人のことを好きにならないはずがありません。 (三角さんは……立希さんのことが好き) 間に2人挟んでるとはいえ教室で後ろの席ですよ?好きになるに決まってます。逆に真後ろでないからこそふとした瞬間に見える立希さんの姿に惹かれてしまうと思います。 (祐天寺さんは……立希さんのことが好き) おそらく2人に接点は無いでしょうが、向上心のある祐天寺さんのことです、同じドラマーの立希さんを見れば一発で好きになってしまうと思われます。 (千早さんは……立希さんのことが好き) 立希さんを愛称で呼ぶなんて、少々馴れ馴れしくはありませんか?それと立希さんが彼女に厳しくしていることを、愛情の裏返しか何かと勘違いしてるおそれがあります。 (要さんは……立希さんのことが好き) 立希さんは練習のたびに彼女に抹茶パフェをご馳走しているそうですが、そんなに甲斐甲斐しく世話を焼かれたら懐かれるのは当然です。ちなみに私も立希さんに飲み物を頂いたことがあります。 (立希さんは……私さんのことが好き) 立希さんのことを好きな皆さんには申し訳なく思いますが、立希さんは私のことを愛しています。ベーシストが必要な時には真っ先に私に声がかかりますし、Ave Mujicaで注目されていた時にはクラスの方の目から遠ざけていただいたり、授業のノートを貸していただいたり、様々なサポートをしていただきました。 立希さんは本当に私のことが好きすぎですね。皆さま申し訳ありません。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『衣装より』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ティモリスの衣装、かっこいいよね」 RiNG内カフェのカウンターでドリンクを味わっていた海鈴に、カウンター越しに立希が話しかける。 「そうですか?」 「1人だけロングのパンツスタイルなのはクールに見えて良いと思う」 店内に人はそれほど多くなく、立希はグラスを拭きながら独り言の様に呟いていく。 「ライブ衣装はだいたいスカートですからね立希さん」 「なんでチェックしてんの……まあパンツの時もあるけど丈が短かったり私だけじゃなかったりするし……別にスカート苦手じゃないからいいんだけど」 「今のユニフォーム姿も好きですが、ガーリーな衣装の立希さんも素敵ですよ。私服も──」 「お冷お入れします」 さすがに横でペラペラと捲し立てられるのが気恥ずかしかったのか、接客の体で海鈴の発言を遮った。耳元が赤くなっている立希を見ながら、海鈴は甘さの余韻の残る口内をリフレッシュした。 「……まあ特別にティモリスの衣装が良いって話じゃなくてさ──あの衣装を着てる海鈴が好きって話だよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『見せるため』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「数学は?」 昼下がりの学校の中庭。立希はベンチで隣に座る海鈴に自分のノートをいくつか差し出している。 「いりません。数学得意なので」 「あっそ」 まさかあなたにノートを見せてもらう日が来るなんて、と、いつものように軽口を叩きながら海鈴はノートを写真に収めていく。 「それはそうと立希さん、板書がとても綺麗ですね。マーカーなども効果的でとても分かりやすいです」 写真に写るカラフルでいて整然とした文字を見ながら海鈴は感心しながら言う。 「そりゃ人に見せるために書いてるからだよ」 「?そうなんですか」 確かに授業によってはノートの提出が評定に関わっていたり、それでなくとも今回のように友人に見せたりすることもあるだろうな、と海鈴は得心の行った顔をした。 「……海鈴に見せるため!」 ノートを撮る海鈴の手が止まり、2人の目線が合った。 「海鈴が休んでる時から、いつもの10倍くらいの丁寧さでノートとってる……」 そう言いって顔を背ける立希。海鈴からはその赤くなった耳がよく見えた。 「では……数学もお貸しいただけますか?」 立希は顔の向きを固定したまま、数学のノートで海鈴の脇腹を小突いた。今や顔全体が真っ赤になっている。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『その手を』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴お前、意外と手小さいね」 中庭でノートの写真を収める海鈴の手を見ながら、立希は呟いた。 「別に普通だと思いますが。演奏にも支障はありませんし」 「はあ?別に文句言ってるんじゃ無い」 作業をしながら返答する海鈴に対し、少し苛立ちながら立希はその手を取った。 「海鈴の手は可愛いって話」 えっ──と驚く海鈴を意に介さず、立希は握ったその手に優しく口付けをした。 「でも、可愛いはちょっと失礼だったかも…綺麗な手だよ、演奏中は特に」 「立希さん──!」 突然の告白に、海鈴の心臓の鼓動が早くなる。頬や耳がほのかに熱を持ち始めたように感じた。 「ステージの上で、ライトを浴びながらベースを弾く海鈴の手はすごく綺麗で──毎回見惚れてる」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『一生』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 校舎の外れ、自販機コーナーの側に、影がひとまとまりになるほど近づき合う2人の姿があった。 「ん……まさか、貴女とこんな関係になるとは」 「続きは?」 「結構です、学校ですので」 「あっそ」 表情を変えず言い放つ海鈴に対し、先ほどまで感じていた熱の余韻を楽しみながら笑いかける立希。 「どうなの?付き合ってみて」 「燃え尽きる前の線香花火みたいですね」 おおよそ状況に似つかわしくない返答に、驚きが表情に出た立希を見つめながら海鈴は続ける。 「私今とても幸せです。しかし、いままで参加してきたバンドと同じように、いつかは──」 「私は一生バンドやるって約束してるんだ」 海鈴の言葉を遮り、彼女の目をまっすぐに見つめながらそのまま身体を抱き寄せる立希。 「でも、その一生の隣には──海鈴にいて欲しい」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『いつものに』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 朝、海鈴が目を覚ますと、テーブルに俯して眠る立希の姿が隣にあった。 「あ?起きてた?」 「おはようございます立希さん」 あくびをしながら背を伸ばす立希。 確かRiNGからの帰り道に立希と偶然一緒になり、作曲について相談があるということで立希の家に上がって話し込んだ後、そのまま寝落ちしてしまったか、と海鈴は昨日の記憶を思い返す。 「朝ごはん食べてくでしょ?顔でも洗って待っててよ」 「それでは、お言葉に甘えて」 海鈴が顔を洗って部屋に戻ると、テーブルの上に温かいココアとトーストが用意されていた。立希と一緒に朝食をとりながら、海鈴は自分の口角が徐々に上がっていくのを感じた。 「どうしたの?」 「貴重な体験をしたなと思いまして。もし立希さんと同棲したらこんな感じなのかなと」 「はあ?」 らしくないことを言ってしまった、と口元を結び、少し俯きがちになる海鈴。 立希は彼女の口元のパンくずを指で取り、視線がぶつかるのを確認し笑いかける。 「また泊まりに来なよ。貴重な体験じゃなくて──海鈴の日常になるくらいにさ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『愛され』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「そしたらりっきーったらさあ──」 「最高です」 RiNG内カフェ、愛音と海鈴の2人がテーブルを一緒にし、主に立希の話題に花を咲かせていた。 「ていうかりっきーって学校で他の子とちゃんと仲良くやれてる?」 「はい。立希さんはとても優しい人ですから。この前も私が休んでいた間のノートを見せてくれました」 まるで保護者のような愛音の物言いに心の中で苦笑しつつ、海鈴は答える。 「え!あれうみみんの為だったんだ!」 「?」 「いや丁度その時期にさ、バンド練の前にりっきーがすごい真剣な表情でノート書いててさ〜」 少し驚いた顔をした海鈴に向かって、愛音は立希の物真似を交えながらその時の様子を語る。 「てっきり新曲のやつだと思ったら、授業のノート?を清書しててびっくりしちゃったんだよね。あれうみみんに見せる用だったんだ〜」 「確かに。とても見やすくて驚いた覚えがあります」 「うみみん愛されてるね!」 「そう、だといいのですが」 あまりにあけすけな愛音の物言いに、気恥ずかしさで少し歯切れを悪くする海鈴。 ──そんな和気藹々とした会話をする2人の近く、店のバックヤードへの扉の向こうで、出るタイミングを完全に失った立希の姿があった。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『幸せ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「幸せか……」 中庭のベンチに座った立希がつぶやく。 「何かお悩みですか」 「っ!……盗み聞きしないで」 後ろから突然声をかけてきた海鈴に、立希は少しバツの悪い顔をしながら、隣に座るよう目配せをする。 「……この前燈がさ、幸せって何だろうって聞いてきて……」 「何と答えたのですか?」 「私は今幸せだ、って」 「かっこいいです」 「でしょ!……っあ、いや……」 思ったより大きな声で喜んでしまったのが恥ずかしかったのか、立希は自分の耳を触りながら視線を外す。 「海鈴お前は?」 「私は……わかりません。ですが、今こうして立希さんと過ごしている時間は──」 顎に手を当て真剣に考え込む海鈴の横顔を見て、思わず頬を緩めた立希はそのまま彼女の横髪を優しくかきあげる。 「私が今幸せだと思えるのは──海鈴のおかげでもあるんだよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『隣に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「立希さん、もう少しだけこのままでいていいですか?」 中庭のベンチに海鈴と立希が隣り合って座っている。 海鈴はいつものように表情を変えず、しかし声色に少しの寂しさを纏わせながら、立希の肩に頭を寄せる。 「私、立希さんのバンドが、立希さんが羨ましいです……」 「一生だからね」 Ave Mujicaの解散。これまで数多のバンドを掛け持ちしてきた海鈴にとって、バンドが解散することは珍しいことではなかった。それでも── “今度こそは” その思いは、確かにAve Mujicaにはあった。 仮面はすでに外されている。否、立希の前では海鈴はいつも素顔だった。自分に無いものを持っている人、求めたいたものを手に入れた人、立希に対して海鈴はいつもより多くを口にすることができていた。 「私にもそういう居場所が見つかるでしょうか」 一生でなくともいい、ただ今この時だけは…そう思いながら海鈴は目を閉じる。海鈴の体温を隣に感じながら、立希は空を見上げた。風もなく、静かな昼下がり。 「今は、私の隣にいなよ海鈴」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『まだ秘密』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ちょっといい?」 立希に声をかけられ、校舎はずれの自販機コーナーまで連れ出された海鈴。 「あれってみんな知ってるの」 「あれとは?」 「……私たちが付き合ってること」 隣で自販機を操作する海鈴を横目に、眉を少し吊り上げながら立希はつぶやく。 「知ってるも何も、こうやって度々呼び出されていてはさすがに周りも勘付くでしょう」 購入したばかりのミルクチョコを飲みながら、海鈴は特に表情を変えずに答える。 「それに…私を見る立希さんの目、最近ちょっと熱っぽいですし」 「それでも海鈴はいつも通りってわけ?」 「立希さんほど分かりやすい人間ではありませんから」 苦笑しながらちょっとした不平をこぼす立希に対し、あくまで無表情をキープして応対する海鈴。彼女の前にスッと近づいた立希は、その口元のストローをどかし半ば強引に唇を奪う。 「っ!いきなり何してんだよ……!」 突然、ミルクチョコとは違う味と熱を舌に受け、不意に荒々しさが口調に浮かぶ海鈴。舌に残る甘さの余韻を感じながら、立希は目の前の彼女に微笑んだ。 「この海鈴のことは、まだ秘密にしておきたいな」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『幸せは』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「うまい、うまい……」 RiNGのカフェ、楽奈と海鈴がカウンターに隣り合って座っている。幸せそうに抹茶パフェを堪能する楽奈の姿にあてられ、海鈴はつい変な質問を口にしてしまった。 「……要さんの幸せってなんですか?」 「流行ってるの?」 きょとんとした顔で見つめ合う2人。一拍置いた後、ぽつりぽつりと楽奈がつぶやく。 「ライブ、ギター、ねことあそぶ、まっちゃ、まっちゃパフェ、あのん、おそば──」 楽しそうに次々と自分の好きなものを挙げていく楽奈。 「うみみんは?」 突然返された質問に、言葉を詰まらせる海鈴。半開きのまま動かないその口を代弁するかのように楽奈は言う。 「りっきー」 「……立希、さん」 自分をまっすぐ見つめるそのオッドアイの瞳に、全てを見透かされているような感じを覚え、胸のざわつきを抑えられずにいる海鈴。 「ギター弾く。一緒に弾く?」 「いえ……私は……」 ふーん、とだけ言い、ギターセットを持ってステージへ向かう楽奈。自然体で、自由にギターを楽しむ楽奈をぼんやりと見ながら、海鈴はしばらく物思いに耽っていた。普段楽奈の隣によくいる、彼女のことを思い浮かべながら。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『反則』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「まあ、周りにバレるのは薄々予感していましたが」 校舎の外れ、立希と海鈴の姿があった。 バツの悪そうな顔をして自販機にもたれかかる立希と、その横でいつも通り無表情でミルクチョコ飲料を楽しむ海鈴。 「でもそうですか、交際を始めてから一ヶ月経ちますか」 「なにそれ」 「え?」 まるで他人事のような物言いに対し、立希は不機嫌さと寂しさの混じり合った顔を露わにする。 「恋人やれて喜んでるの私だけみたい」 「その言い方は反則かと思いますが……」 困ったような顔をする海鈴を見て、ふっ、と軽く笑った後、表情を固め目の前の彼女にまっすぐに向かい合う立希。 「でも、海鈴が平然としてられなくなるくらい、これからもっと私のこと好きにさせてみるから」 じゃ、と言いながら一人校舎へと戻っていく立希。 海鈴はほんのり赤く染まっていく頬を隠すように俯き、誰に聞かせるでもなく呟く。 「その言い方は反則だろ……」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『味わい方』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「今日はコーヒーではなく抹茶なんですね」 「野良猫が騒いでるの聞いてたら、なんか気になって…」 コーヒーストア脇のベンチ、ドリンク片手に隣り合って座る立希と海鈴の姿があった。 「そうですか」 立希の手には、たっぷりのクリームが盛られた鮮やかな緑色のドリンクが握られていた。対する海鈴は、クリームの盛られ具合こそ同じものの落ち着いた色合いをした、彼女の好きなショコラ味のドリンクであった。 「要さんのオススメですか……」 放課後、こうして2人で次の予定までの時間を潰すことはままあったが、いつもよりも若干声のトーンが下がっている海鈴に、立希は少々困惑の表情を浮かべる。 「……なんか怒ってる?」 「別にそんなことはありません」 と言うと、そっぽを向いて自分のドリンクを味わう海鈴。少し間をおいて、海鈴の口元からストローが離れるのと同時に、立希は素早くその唇の隙間を埋めた。 「海鈴の好きなチョコ味はさ…」 少しだけ唇にこぼれたショコラの雫を舐め取りながら、立希は目の前で呆気に取られた顔をする海鈴に笑いかける。 「こうやって味わう方が美味しいから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『嫌なやつ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「あれ〜うみこじゃ〜ん、おつかれ〜」 「祐天寺さん、おつかれさまです」 所用で事務所を訪れた海鈴は、おそらく打ち合わせ等を行なっていただろう若麦と偶然顔を合わせた。 「あれ〜なんかうみこいつもより表情暗くない〜?」 「祐天寺さんを前にするといつもこんな感じですよ」 「っ!……好きな人と喧嘩でもした?」 いつものように雑な対応をしてくる海鈴に、負けじと言い返す若麦。 「まあ〜、うみこはどうせ喧嘩になるほど喋ってないんだろうけど」 「それは……」 学校での立希とのやりとりを思い出し、歯切れの悪くなる海鈴。珍しくたじろいだ様子の彼女に、若麦は諭すような眼差しを送った。 「今更にゃむと仲良くおしゃべりなんてしなくてもいいけどさ……好きな人相手にぐらい、自分見せなよ」 「祐天寺さんには関係ないでしょう」 もはや若麦の姿など見ていないように荷物をまとめ出す海鈴。その見慣れた表情を横目に若麦は事務所を後にした。 「つまんない綺麗な顔」 去り際の若麦の言葉は酷く反響し、室内に1人残された海鈴の耳にまとわりついていた。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『輝き』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴の目、すごい綺麗だ……」 「いきなりどうしたんですか立希さん」 中庭のベンチに座りタブレットのスケジュール表を確認している海鈴。隣に座る立希は、海鈴の横顔を眺めながらうっとりとしている。 「いや、タブレットの画面とか木漏れ日とかが海鈴の瞳に反射しててさ、宝石みたいになってる」 きょとんとした表情で立希に顔を向ける海鈴。それを待っていたかのように、手を伸ばした立希の手が海鈴の目元に優しく触れる。 「立希さん、学校でこのようなことをされては……流石に恥ずかしいです……」 そう言う海鈴の表情はいつもと変わらず無感情に見えたが、立希の指先には柔らかな熱が伝わっていた。 「ああ、ごめん。──でも、もう少しこのまま海鈴を見てていい?」 「……構いません」 立希の瞳には海鈴が、海鈴の瞳には立希が。 そこには、2人だけが居た。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『理解者』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「あ、うみみん」 「うみみん」 「千早さん、要さん。お疲れ様です」 RiNGのロビー、愛音と楽奈の2人と海鈴が偶然顔を合わせていた。 「うみみんはもう帰り?一緒にカフェでりっきーの顔見に行かない?」 「まっちゃ」 「いえ、遠慮しておきます」 海鈴が愛音からの誘いを断ることはこれが初めてではなかったが、いつもよりも若干遠慮がちな海鈴の様子に違和感を覚える愛音。 「……りっきーと喧嘩でもした?」 (まっちゃは?) 「そういうわけでは……」 いよいよ語気が弱まっていく海鈴。愛音は一歩前へ近づき、へらっとした笑い顔で目の前の彼女の顔を覗き込む。 「りっきーってね、あんま器用なタイプじゃないんだよ。うみみんとか好きな子の前ではカッコつけちゃったりするけどさ、自分からリードしたりするのは苦手なの」 (ねー、まっちゃ) 「……何が、言いたいんですか?」 訳がわからない、という気持ちが表情に表れていく海鈴を見て、愛音は安心したように微笑む。 「りっきーはちゃんと隣で話聞いてくれる人だってこと」 じゃあまたね、と言って離れていく2人の背中を見ながら、海鈴のベースケースを持つ手に力が込められる。 「そんなことわざわざ言われるまでも……」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『一緒に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「後で詳細もらえればスケジュール確認しますよ」 「八幡さんありがと〜!」 教室でバンドのヘルプの相談を受けていた海鈴。人だかりがなくなった後、立希から声をかけられる。 「ずいぶん人気者じゃん傭兵さんは」 「ええ、以前立希さんにも頼られましたからね」 「はいはいあの時はありがと」 いつものように軽口を叩き合う2人。海鈴は一瞬だけ口をきゅっと結んだ後、ゆっくりと口を開く。 「傭兵と言いますが……私お姫様もいけますよ」 「はあ?突然何?」 「立希さんは好きな子の前では王子様的な振る舞いをされるようなので」 「誰から聞いたのそれ!?」 愛音か?楽奈か?と取り乱した様子を見せる立希。それに構わず、いつも通りの表情で話を続ける海鈴。 「私少しだけなら演技の心得もありますので……お姫様どうですか?」 握った両手を顎の下に構えて上目遣いをする海鈴。はぁとため息をついた立希は、しゃがんで目線を彼女と同じ高さに揃える。 「私はさ、海鈴の手を取ってリードするより──お互い手を握りながら、隣り合って歩きたいんだよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『いつもと違う』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ブラックコーヒー?」 「まあ、たまには」 校舎の外れ、自販機コーナー。海鈴がたった今自販機で購入したそれを見て、立希は物珍しそうに声をかける。 「まだ引きずってはいるんだ」 Ave Mujicaの解散から1ヶ月。変わらず他バンドのサポートに勤しんでいるように見える海鈴だったが、それが虚勢であることは立希の目には明らかだった。 「いえ……」 コーヒーの苦味が残ったままの海鈴の口から、わずかな言葉がこぼれる。 「ちゃんと言いなよ…もう仮面つけてないんだから」 缶を両手で持ち、伏せ目がちな海鈴に立希がゆっくりと近づく。 哀訴とも諦観とも取れる表情が立希の目に映る。 「それに──」 立希は缶を持つ海鈴の手を抑え、熱を持った部分で彼女と体温を共有する。2人の温度が十分に近づいた頃、立希が囁く。 「海鈴とのキスは、甘いのほうがいい」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『略奪者』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「だいぶ上達しましたね千早さん」 「ほんと?うれし〜!」 RiNGの練習スタジオに、お互い楽器を構えて向かい合う海鈴と愛音の姿があった。 「うみみんのおかげだよ〜」 「大したことはしていませんよ」 と言いながらしゃがみこみ、自分のベースを片付け始める海鈴。 「これでちょっとはりっきーに怒られる回数減るかな」 「現状でも、立希さんは愛音さんの演奏を信頼しているはずですよ……」 これまでに立希との会話にたびたび上がっていた愛音についての話題を思い出し、海鈴は答える。文句を言いつつも言葉の節々で彼女を認めているような態度の立希を必要以上に思い出さないように、楽器をケースにしまう動作が早まる。 そんな海鈴の様子を見て、愛音は笑いながら明るく言葉をかける。 「心配しなくても、うみみんからりっきー盗ったりしないよ〜」 まあでも、と言ってギターを肩から下ろす愛音。海鈴にそっと近づくと、唇で彼女の耳たぶを甘く噛み、そのまま小声で囁く。 「りっきーからうみみんを奪っちゃうかもしれないけど──」 驚いた海鈴が自分の耳に手を当て愛音を見上げる。笑みを浮かべこちらを見つめる愛音の瞳に自分の顔がはっきりと映っているのを海鈴は見た。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『髪型』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴、前髪切った?」 「はい昨日自分で……よく気づきましたね」 教室、自分の机に座っている海鈴の横を通り過ぎようとした立希が、立ち止まり話しかける。 ほんの数ミリだけなのですが、と自分の前髪を触りながら返す海鈴に悪戯っぽく笑いかける立希。 「たまたま気づいただけ」 「……立希さんは短めな髪の方が好みですか?」 高松さんや要さんのように──と続く言葉を胸の内に抑え、立希を見上げ質問を投げかける海鈴。立希は、肩口の辺りで跳ねている彼女の襟足を手のひらで軽く触れる。 「今のウルフカットもかっこよくて好きだし、そもそも海鈴はどんな髪型でも似合うと思うけど……」 立希の指が海鈴のあごから頬、目元をなぞり、前髪を掻き分ける。いつもより少しだけ露わになった海鈴の顔を見つめ、立希が呟く。 「今みたいに海鈴の綺麗な顔がよく見える方が良いな」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『出会い』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「もし立希さんが羽丘に進学していたら、こうして一緒に話すことも無かったんでしょうね」 「急に何?」 RiNGのカフェ、カウンター越しに会話をする海鈴と立希。 「どうぞ、ご注文のホットココアです……でも、リングで海鈴の噂を聞いて結局バンドのサポート頼んでたかも」 「まあ、そうかもしれませんね」 ちょうど店内には海鈴以外の客の姿はなく、立希は飲み物を提供をした後カウンターに軽く寄りかかりながら会話の続きを始める。 「もしかしたらムジカのティモリスとしてが先かも」 「……その場合、私は立希さんを見つけられてたでしょうか」 もしかしたらの仮定の話。それでも、2人の間の距離のことを考えてしまい、海鈴はカップを両手で持ちながら伏目がちに物思いに耽ってしまった。 「でも、花咲川でお互いのことなんにも知らずにさ──」 そう言いながら立希は海鈴の髪を撫で、それに反応するように見上げてきた彼女のその頬に優しく手を添える。 「ただの椎名立希が、ただの八幡海鈴と出会えることができたのは──本当に良かったなって思ってるよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『隠しもの』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「チョコレートベリーパフェとミルクティーお待たせしました」 2月14日。夕方、スタジオ練習の帰り、海鈴はRiNGのカフェに立ち寄り一息ついていた。 「海鈴もこういうバレンタインメニュー頼んだりするんだ、ちょっと意外」 「せっかくですので。それに、今日は早くから予定が多く入っていたので甘いものでリフレッシュが必要です」 「ああ、そういや午前中からちょいちょいRiNGの中で顔見かけてたな」 「ええ……ちなみにこれは立希さんからのバレンタインチョコとして受け取ってもよろしいですか?」 「よろしくありません」 まったく──と言いながら隣のテーブルの拭き掃除を始める立希。表情は変わらないものの、少し残念そうな雰囲気を出してパフェを食べ始める海鈴。 「……もう少しで上がるからさ、ちょっと待っててよ」 「?はい、構いませんが……」 きょとんとした表情の海鈴の顔から、彼女の座る椅子の下へと立希は視線を移し、身を少し屈めて小声で喋りかける。 「実は本命チョコ用意してるからさ、海鈴が隠してるソレとあとで交換しよ?」 テーブル横のベースケースの影、そこには、海鈴が一日中持ち歩いていた、ちいさな厚手の紙袋があった。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『予定』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「〜♩」 迷子のバンドが結成したての時期、教室には自分の机に座りエアドラムをする立希の姿があった。演奏に熱が入り始めた頃、ガン、と、バスドラムを意識した足が机に当たり、その衝撃で紙パック飲料が机の上から落ちる。 「中身ブチ撒けたいんですか?」 サッと手を伸ばし紙パックをキャッチした海鈴が、立希に苦言を呈す。 「私の心の中にある、海鈴への想いを?」 「ご冗談を」 無表情で軽口をいなす海鈴に苦笑しつつ、彼女が持つベースケースに視線を移して立希が問う。 「海鈴、今日どのバンド?」 「ノトリア、ジャスミン&ハスキー、ディスラプションです」 「……で、夜はうちに泊まると」 「誘ったのはそちらですが」 あくまで表情を変えずに返答する海鈴だったが、その声がいつもよりも少し高くなっていることに気づいた立希は、ニヤついた視線を送る。 「浮かれてる?」 「浮かれてません」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『ファンサ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴、今日はもう帰り?」 「ええ、別のスタジオに向かいます」 RiNGのロビー、ベースケースを持ち出口に向かう途中の海鈴に、ライブ衣装に身を包んだ立希が声をかける。 「ライブ見れずに申し訳ありません」 「いいよ別に」 予定入ってるのは前もって聞いてたからさ、と立希が言い、海鈴は軽く頭を下げ再度謝罪の態度を取る。 「それに、さっきリハの時こっそり見に来てくれてたでしょ?」 「気づいていたんですか?いつものように目線が合わなかったのでてっきり──」 少しだけ目を丸くして驚く海鈴に、自慢げな表情を向ける立希。 「まあライブの時みたくファンサしてあげても良かったんだけど──」 「恥ずかしいので結構です。ではまた明日学校で」 と言いながら、どことなく安心したような顔をする海鈴。そのまま踵を返して出口へ向かおうとする後ろ姿に、立希は少し悪戯っぽい笑みを投げかける。 「じゃあ明日会った時に……さっきこっそり撮ってた写真見せて?」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『水族館』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「水族館楽しかったね!さきひこ!」 「ええ本当に!それに、夢中になってる燈の姿も可愛かったですわ!」 「何回来ても…楽しい!」 「パフェ食べに行く?」 水族館、展示を一通り見終わった後の和気藹々とした4人の姿があった。 「むつみんとそよりんも来れたら良かったのにね〜」 「愛音さんそれ何回目ですの?習い事と部活なので仕方ありませんわ」 「だって〜みんなで出かけるの楽しいんだもん」 「わ…私も…みんなでお出かけできて…嬉しい!」 そんな会話をしながら、一行は出口付近のお土産コーナーへと足を運んだ。 「お土産…買おう!…チンアナゴはきゅうりに似てるから…睦ちゃん好きかも!」 「ねーパフェー」 愛音と祥子が話す傍ら、熱心に棚の商品を吟味しだす燈。楽奈は既に飽きてしまったのか、愛音の腰に抱きつき喫茶コーナーへ連れて行こうとしている。 「ふふ、またこうして皆さん一緒にお出かけしましょうね!」 そう言う祥子の顔には、満面の笑顔が浮かんでいた。 「……そういえば立希さんと海鈴さんの姿が見えませんわね?」 「あ……は、はぐれちゃったのかな……?」 と、祥子が言うと、燈が心配そうにあたりを見回す。 心配そうにする2人をよそに、愛音は若干呆れ気味な声色で言う。 「あ〜……あの二人はこっそりイチャイチャしてるだけだよ、たぶん」 いつものことだね〜、と言い、燈の隣へお土産選びに戻る愛音。 「まあ!はしたないですわね!」 「心配しなくてもそのうちひょっこり出てくるでしょ〜」 「パフェたべにいこー」 「せっかくみんなで来てますのに……しょうがない方達ですわ……」 「で……でも!……ふたりいつも仲良くて……良いと思う!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『水族館 その2』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「見てください立希さん、この水槽とても綺麗です」 「海鈴の方が綺麗でしょ」 「今そういうのはいいです」 水族館のクラゲコーナー、薄暗い室内でぼんやりと光る水槽を静かに見つめる海鈴と、その隣で軽くあしらわれる立希。 「そういえば他の皆さんは?」 「あれ……先に行っちゃったかな」 今日は、海鈴と立希の二人だけでなく、祥子と燈、愛音と楽奈も含めた6人で水族館へ来ていた。都合が合わず睦とそよが来れなかったことに、燈と愛音が残念がっていた声を先程まで聞いていたのを海鈴は思い出す。 「私の方ばかり見てるからですよ」 「海鈴だって展示ばっかり見てたでしょ!」 呆れたように言う海鈴に、耳を赤く染めながら言い返す立希。館内に入ってからは、燈や祥子の解説もほどほどに展示物に見入ってしまっていたこともあって、海鈴は少々バツの悪そうな顔をする。 「水族館ですので……」 と言いながら海鈴が顔を見上げると、拗ねたような表情を浮かべる立希にじっと見つめられていた。 「せっかくのデートなのに──私の方あんまり見てくれなくて、ちょっと悔しい」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『その人生は』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「では、私とも元鞘に戻りませんか?」 RiNGにて、祥子と睦に対峙した海鈴が言い放つ。その鋭くこちらを見つめてくる瞳から目を逸らすことなく、祥子は口を開く。 「元鞘……再び私と共に歩む道を行くと……」 「その通りです」 「あなたの人生をまた頂くことになりますわよ?」 重く言い放たれた言葉に、隣に立つ睦が思わず息を呑む。 「元より返してもらったとは思っていません」 「……豊川の人間になる覚悟はもうできている、ということですわね」 残りの人生を祥子に捧げる、今となってはそれは祥子の──ひいては豊川の所有物となることと同義であることは海鈴にも理解できていた。 はい、と返答しようと海鈴が唇を開きかけた時、彼女の目の前に見慣れた白と青の影が現れる。 「待って」 「……立希さん?」 「ごめん海鈴、話の邪魔をして」 立希は海鈴に優しく微笑みかけながらそう言うと、祥子の方へ振り向く。後ろにいる、自身の半身とも言えるべき彼女を守るように片手を広げ、祥子に立ち塞がる。 「でも、いくら祥子が相手だろうと──海鈴の人生は渡せない」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『バーニングジェラート』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴おまたせ」 「いえ、早速いただきましょうか」 放課後、RiNGへ向かう途中でジェラテリアに立ち寄る立希と海鈴の2人の姿があった。 「海鈴もそういうの頼むんだ」 「可愛いじゃないですか、バニージェラート」 うさぎの耳を模したウエハースが2本添えられ、チョコレートでデコレーションされたジェラートを片手に、海鈴は写真を表示させたスマホを立希へ見せる。 「それにバニーは、立希さんの衣装を思い出しますので」 「マジでやめて」 素早く海鈴のスマホを机に伏せ、自分のジェラートを食べ始める立希。 「立希さんは……やはりパンダにしましたか。わかりやすいですね」 「いいでしょ別に」 そう言って、少し恥ずかしそうに海鈴を睨む立希の手には、大小のココアビスケットでパンダの顔が表現されたジェラートがあった。 やれやれといった表情でジェラートを食べている海鈴に、立希は以前一緒にカフェに行った時のことを思い出しながら口をひらく。 「海鈴は、私が抹茶味選んだら嫉妬しちゃうくせに」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『理由』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「Ave Mujicaをやり直すつもりです」 学校の自販機コーナーにて、海鈴は立希にそう言い切った。 「海鈴が? 睦はどうすんの?」 「誘いましたよ。保留にされましたけど……」 相変わらずの無表情のまま答える海鈴に、はあ…、とため息をつく立希。そのまま呆れ顔を海鈴に向ける。 「そういうとこ」 「なんですか」 「そりゃそうなるでしょ」 「……なんですか」 要領を得ない立希の態度に、少し苛立ちを見せる海鈴。そんな海鈴の態度とは対照的に、立希は表情を緩ませ一歩彼女に近づくと、諭すように呟く。 「海鈴、可愛すぎるから──急に誘われたらドキドキしちゃうでしょ」 もう一度海鈴に笑いかけた後、じゃ、と校舎に戻っていく立希。 1人佇む海鈴は、誰に聞かせるまでもなく言い捨てる。 「立希さんはカッコ良すぎるだろ……」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『本当は』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「昨日のリハ。クライシックでしたっけ?見せつけてくれますね」 「いたの」 学校の自販機コーナーにて、海鈴が昨日RiNGのスタジオで見た光景について立希に話をふる。 「元鞘するんですか?」 「何言ってんの、あれはもう終わったから」 「それを聞いて安心しました」 ふ──と一瞬息を吹いた後、立希に向かい意地悪な表情を浮かべる海鈴。 「立希さんは、複数のバンドとプライベートを掛け持ちできるほど器用ではなさそうなので」 あくまで無表情を貫く海鈴だったが、立希はその言葉が彼女の真意でないことに気づいていた。 「……本音は?」 海鈴の顔が硬直する。その脳裏では、MyGO!!!!!の面々に加え祥子や睦の姿が浮かんでいた。優しい微笑みを向けて次の言葉を待っている立希に答えようと、少し間を置いて、海鈴の口が開かれる。 「……これ以上、恋のライバルと立希さんとの接点が増えたら、私耐えられません」 海鈴の正直な返答に立希の目が丸くなる。立希は、目の前の少し俯きがちでいる彼女にそっと近づき、髪を撫でながら囁く。 「海鈴は本当に可愛いね」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『見られていた』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「うまい……うまい……」 「楽奈ちゃんは本当に抹茶パフェ好きだね」 RiNG内カフェ、一心不乱にパフェを口元に運ぶ楽奈の様子を、隣でニコニコと見守る愛音。 「飽きない、うまい」 「食べさせがいがあるな〜、私のストロベリーの方も一口食べる?」 「別にいらない」 「そ、そう……」 即座に拒否され、所在なげに自分のストロベリーパフェをすくったスプーンを持ち苦笑いする愛音。そんな彼女の様子を横目で見て、楽奈の手が止まる。 「…一口いる?」 「え!めずらし!……じゃあ折角だから、あーん──」 普段は自分のパフェは自身で食べ切る楽奈からの突然の提案に、愛音は迷うことなく口を開き、楽奈からの施しを促す。 「ん〜!ほろ苦くておいし〜!」 両目を閉じて味わう愛音の口元に、少し溢れたソースがついていた。楽奈はニッと笑った後、スッと愛音に顔を寄せてそのソースを舐めとる。 「!!!──っ!な!突然何〜!?」 「?……この前見た」 顔を真っ赤にしながら愛音とは対照的に、さも当然のようなことのように表情を崩さず答える楽奈。 「見た?ド、ドラマとか……?」 舐め取られた感触のまだ残る口元に軽く指を当てつつ、急に鼓動の激しくなった心臓を落ち着かせようと努める愛音。 既に目の前の抹茶パフェを味わうことに戻っている楽奈は、以前にこのカフェの中で見た光景を思い出しながら答える。 「りっきーがうみみんにやってた」 「あの2人の真似はまだ早いよ〜!!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『今は真面目に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「無人島に一つ持って行くなら立希さんは何ですか?」 「海鈴」 「真面目に答えてください」 「今そういうフリだったでしょ!」 昼下がりの中庭、昼食を終えジュースを飲みながら談笑する海鈴と立希。先ほど教室でクラスメイトたちが喋っていた他愛無い質問ネタに花を咲かせていた。 「バンドマンとしてはドラムセット、って言いたいけど……」 「優先すべきものが他にいくらでもある感じしますね」 「そもそも私、無人島でちゃんと食事……生活できる気がしない」 「それは……右に同じです」 普段の食生活ひいては私生活を鑑みて、話題の軽さとは対照的に重い気分になっていく2人。 「なかなかパスパレの皆さんや祐天寺さんの様に逞しく生きていける想像ができませんね」 そう言いながらさらに考え込む海鈴の表情があまりにも真剣そのものだったため、立希は思わずおかしな気分になった。そろそろ昼休みの時間も終わろうとしていたこともあり、場の空気を変えようと立希は明るい声色で海鈴に告げる。 「たとえ無人島でも、海鈴と一緒ならそれだけで幸せなのは簡単に想像できるよ」 「だからそういうのはいいです」 「おい!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『心の中に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「そろそろ休憩にしましょうか」 「うん!」 海鈴の自室にて、ギターのレッスンに励む海鈴とモーティスの姿があった。 「このプロテインバーおいしいね!」 「ええ、食べやすく手軽にタンパク質を摂取できる良いものです」 「事務所にあった在庫の山、海鈴ちゃんが持って帰ってたんだね」 キッチンの隅に積まれたAveMujicaのロゴ入りの段ボール箱を見てやや呆れた顔をしたモーティスだったが、パッと表情を明るくし話題を変える。 「ねえ恋バナしよ恋バナ!」 「恋バナ、ですか……」 「そう!祥子ちゃんが最近燈ちゃんとのことで悩んでるみたいで、私も最近そよちゃんと会ってないから海鈴ちゃんたちのを参考にしたいの。楽奈ちゃんに愛音とのこと聞くのは嫌だから」 ワクワクを表情に隠さず、海鈴から話が降ってくるのを待つモーティス。海鈴は目を閉じ一瞬思案したのち、口を開く。 「なるほど……今日はやめておきましょうか」 「?……あ!思い出を独り占めするつもりだ!」 「さあ、そろそろ練習を再開する時間ですよ」 「いぃ〜!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『恋バナ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ホットチョコレート、甘いのください」 カフェにて、向かい合わせに座っている海鈴と若麦。程なくして運ばれてきたそれを一口飲むと、海鈴がしみじみと呟く。 「心が幸せになります」 「あ?チョコで?」 「飲むたびに沁みる、温かな思い出があるんです」 「それって長い〜?」 この後、海鈴が喋り始めるであろう話の展開が予想できた若麦は、既につまらなさそうに自分の爪を見つめている。 「この一生で、一番愛をくれた人──」 †☆・*:.。. .。.:*・☆゚・*:.。. .。.:*・☆゚・*:.。. .。.:*・☆† 海鈴の話を小一時間ほど黙って聞いていた若麦。目の前の幸せそうにホットチョコレートを口に運ぶ海鈴に、すっかりと毒気を抜かれていた。 「うみこ、なんか変わった」 「え?」 「今まで絶対に自分の惚気、話そうとしなかったのに」 「そうですか?」 「──なんか、嫉妬しちゃうな」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『未来に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴、キッチンに立ってるの全然似合わないね」 「失礼ですね」 海鈴が立希の家に泊まった翌日の朝、簡単に朝食を済ませたあと食器類を洗っている最中に、後ろから立希に声をかけられた。 「これでも一人暮らしですから自炊もします」 「プロテイン混ぜるだけでしょ」 図星をつかれ、海鈴はそっぽを向きながら弱々しく言う。 「必要があればちゃんとした料理も覚えます」 声色の弱さに若干の含みを覚えた立希は、海鈴の側に立ち顔を覗き込む。 「……例えば?」 「……将来、立希さんと同棲する時は……食生活が流石に心配になりますので……」 「──っ!」 恥ずかしそうに口を開く海鈴を見て、立希の心臓が大きく高鳴る。隣の、耳をほんのり赤く染めた彼女の肩を少し抱き寄せ、頬同士を触れ合わせる。 「じゃあ私も料理頑張るよ……海鈴と結婚したら」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『その差は』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴って厚底のブーツよく履いてるよね?」 学校からRiNGへ向かう途中、立希は隣で歩く海鈴の足元に視線を向けながら話しかける。 「ええ、ファッションに合わせてですが……似合ってますよね」 「はいはい」 全身を見せつけるように軽く両腕を広げてゆったりと歩く海鈴を、軽くあしらう立希。 「やはり、小さい方がお好みですか?」 「別にそんなことない」 「私の方が身長高いので、こういう靴を履いたらさらに──」 普段。立希がよく気にかけている相手である燈や睦のことを思い出し、若干声色が弱くなっていく海鈴。そんな彼女の様子を見かねて、立希は海鈴へ近づきながら励ますように声をかける。 「海鈴の身長が高くなるの、そんな気にしてない。海鈴の服装も結構好きだし」 それに、と言いながら立希は海鈴の頬に手を寄せ、そっと唇を重ねる。 「少し身長差あった方が──しやすくて良いでしょ?」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『おすすめ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「うわ、もう昼じゃん」 「おはようございます立希さん」 立希が自分の部屋で目を覚ますと、同じように今目が覚めたであろう海鈴が隣にいた。昨日は作曲の相談で海鈴に来てもらい、そのまま夜がふけるまで作業していたことを思い出す。 「あー……たまにはちゃんとしたご飯食べるか……」 昨日、海鈴が持ってきてくれたプロテインバーや買い置きのゼリー飲料を食べ切ってしまったことに気づき、2人はやや気だるげにキッチンまで降りて行った。 「あ、焼きそばあるじゃん。これあっためて食べよ」 おそらく立希の家族が残しておいてくれたであろう焼きそばを冷蔵庫から電子レンジに移し、いそいそと食器の準備を始める立希。電子レンジから漂ってくるソースの匂いが強くなっていくにつれ、傍に立つ海鈴が落ち着かないような様子を見せる。 「あの……立希さん……」 「ん?何?」 珍しくおずおずとした調子の海鈴。立希が見守る中、意を決したように海鈴の口が開かれる。 「目玉焼きのっけませんか?」 「──海鈴天才?」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『既に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「立希さんをぜんぶください」 「はあ?」 RiNGのカフェ、カウンター内にいる立希に対し毅然と言い放つ海鈴。あまりにも堂々とした海鈴とは対照的に、立希の顔には困惑の表情が浮かんでいる。 「豊川さんと若葉さんにムジカ結成をフられたので、ヤケ立希さんですよ」 「いや、全っ然意味わかんないんだけど」 「いただけませんか」 では、と言って店を後にしようとする海鈴。それを追いかけようと、立希は急いでカウンターからフロアへ飛び出した。 「待って海鈴」 店の入り口を少し出たところで海鈴に追いついた立希は、彼女肩に手をかけ、やや強引に振り向かせて言う。 「私は既に、ぜんぶ海鈴のものだよ」 突然かけられた言葉に驚き、海鈴の目が少しだけ丸くなる。周りからの視線も気にせず、立希が海鈴を抱き寄せると耳元で柔らかに囁く。 「それに海鈴も──ぜんぶ私のものだからね」 「……言質とりましたよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『独占欲』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「またクラスの方たちに噂されますよ」 立希に中庭まで連れ出された海鈴は、教室を出る際に背中で感じたどよめきを思い返していた。 「睦となんかあった?」 「……なんかってなんですか」 海鈴の軽口を無視して詰問する立希。秋口の冷たい風がゆっくりと2人の間に吹く。 立希さんが心配する様なことは──海鈴が口を開きかけたその時、後ろから突然聞き覚えのある声が空気を震わせる。 「海鈴ちゃん、私諦めないから……!」 そう言って一瞬立希を睨むと、それだけ、と言い残し逃げるように2人の前から消えていく初華。あっけに取られた海鈴から気の抜けた言葉がこぼれる。 「あなた何かしたんですか?」 「はあ?」 立希の顔に怒りと唖然の混ざった表情が浮かぶ。 「海鈴、全っ然わかってない!三角さんだけじゃない、睦の事だってそう」 立希の視線に気押され、壁際へ後退りする海鈴。退路を塞ぐように立希が近づき、その両腕が海鈴の顔の横に伸びる。 「海鈴が可愛すぎるから……」 憂いと熱の帯びた瞳に見つめられ、海鈴は自分の心臓が高鳴るのを感じる。立希の手のひらが海鈴の頬に優しく沿い、2人の熱が混じりあう。 「──絶対に他のやつには渡さないから……!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『努力も』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「もし私が太ったらどう思います?」 「何?この前爆買いした服もう入んなくなったの?」 「例えばの話です」 昼下がりの教室、昼食を食べ終わり食後のジュースを嗜みながら雑談する海鈴と立希の姿があった。 「で、どうなんですか?」 「どうって言われても……食生活とか生活スタイル改善しなよって思う」 「はい?」 眉を下げ、不満げな表情を露わにする海鈴。普段は立希からかけられる言葉の数々を思い出しながら、目の前のきょとんとした顔に詰問する。 「そこは大好きな海鈴の体積が増えて幸せだよ、とか言うものではないんですか?」 「はあ?」 突然の責め立てに一瞬語気が荒くなる立希であったが、すぐに表情を和らげて、未だ顔をしかめ続けている海鈴へ諭す様に言う。 「……海鈴が体型維持のために色々やってるの知ってるから、そういう努力を蔑ろにする様なことは言いたくないな。もちろん私はどんな海鈴でも好きだけど」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『模倣』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴は本当にかわいいね……」 「立希さん……っ!」 海鈴の自室、無機質な部屋の中で、2人の身体が熱を持ったままベッドに沈み込む。天井を見上げる海鈴の顎に、白く綺麗な指がするりと這うように触れる。 「ほら、もっと可愛い顔を見せて子猫ちゃん」 「それはちょっとやりすぎですね。立希さんのキャラと合ってませんよ」 「もういや!休憩中なのになんでこんなことしなきゃいけないの!」 アイマスクをつけたままの海鈴をベッドに残し、モーティスが勢いよく立ち上がり不満の声を上げる。 「もっと迫真の演技でお願いします。確かに立希さんはまるで王子様のようにカッコいい人ですがそこまでクサい言葉は使いません。それに手つきがしなやかすぎます。立希さんはもっとぎこちなさが残りつつ、優しさと力強さの塩梅が……」 「イ~ッ!ギターより注文が多いぃ〜!」 モーティスの地団駄を無視し、海鈴はそそくさと起き上がり、上着を着直しつつベースケースを手に取る。 「では、私そろそろ行きますので。戸締りよろしくお願いします」 海鈴が去り、殺風景な部屋に1人残されたモーティスは、海鈴がつけていたアイマスクを見つめる。 「私だって……本気なのに」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『いつもの』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「いらっしゃいませ。海鈴、今日はもう帰り?」 「はい。立希さんのテイクアウトできますか?」 「できません」 RiNGのカフェ、カウンター席についた海鈴が、バイト中の立希に軽口を叩く。改めて注文を伝えた後、店内のテーブル席に目をやると、愛音と楽奈の2人がパフェを食べあっている姿が見えた。 「……あの2人、いつ見ても仲が良さそうですね」 「本当に。見てるこっちが恥ずかしくなってくる」 注文を待つ間、ぼんやりと向こうの様子を見る海鈴。一方的に喋りかけている愛音を意に介さず、パフェに夢中な様子の楽奈であったが、2人の物理的な距離は近く、お互いを思い合っているのは見て明らかだった。 「はい、ミルクティーお待たせしました」 「ありがとうございま……っ!」 立希の手が、さらりと海鈴の小指に触れる。驚いた海鈴が顔を見上げると、立希はその耳元に自分の唇を僅かに触れさせながら小声で囁く。 「私あと1時間で上がりだからさ……一緒に帰ろ」 自分の耳に手を当てて固まる海鈴を背に、満足そうな顔の立希がカウンター奥へ戻っていく。 「うわ、見て楽奈ちゃん。あの2人またイチャイチャしてるよ」 「……おもしれーカップル」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『PR』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「この曲、千早さんのギターでイントロ入りするんですね」 立希の自室、作曲について相談を受けた海鈴が、MyGOの過去曲を聴きながら立希に話しかける。 「……たまに目立たせてやらないとあいつうるさいから」 「ほう、よく理解されている」 分かりやすく言葉に棘を含ませる海鈴の物言いに珍しさを感じつつ、かつて彼女から投げられた言葉を思い出しそのまま返す立希。 「ああ、やきもちですか?」 「……そうですよ」 「海鈴?」 いつもなら軽口の掛け合いになる流れ。そう思っていた立希だったが、目の前の、曇った表情のまま顔を伏せる海鈴を見て思わず口をまっすぐに結ぶ。 「立希さんが優しいのは分かっています。私のことを特別に思ってくれているのも──それでも、この胸を灼いてくるものがあるんです」 顔を伏せたまま、弱々しく言葉を綴る海鈴。立希は椅子から降りて海鈴の隣へ座ると、ゆっくりと彼女の顔を覗き込もうとする。 「私だって同じだよ」 「え──」 海鈴が顔を上げ視線が交わることを確認すると、立希は彼女の手を取り自分の方へ引き寄せながら告げる。 「海鈴を連れ出して、2人だけで何処か遠くへ行っちゃいたいって気持ちを抑えてる」 「抑えなくていいですよ、それが立希さんの、のぞみなら」 立希さんと一緒ならどこにだって──、海鈴の口から漏れた言葉が、立希の頭の中でこだまする。 「海鈴……」 「立希さんは、そうではないんでしょうけど……私は、立希さんがいないと、消えてしまいます。立希さんが見つけてくれないと──」 「違うよ海鈴。私たちは、お互いがお互いにとっての──ひかりなんだよ」 お互いが、お互いを照らし、存在たらしめるもの。二人は目を閉じ、静かに相手の熱を感じる、握った手のひらから、寄り添い合うように触れた額から。 何処か遠くへ行く必要はなかった。二人隣り合い想い合っている、何処でもが特別な景色になっていく。 ─ JR東海 ─ ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『PR 別案』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「最近どう?」 「私の心が、立希さんで満たされるのを感じて──怖いです」 ベンチに佇む立希と海鈴の2人。海鈴は頭を立希の肩に寄せながら、ぽつりぽつりと吐露する。 「……それは良いことじゃないの?」 「のぞみが叶ったら、満たされたら、終わりじゃないですか」 「終わりじゃないよ」 力強く発せられた言葉が、海鈴の頭の中でこだまする。 「いま満たされたとしても、また新しい私が海鈴の心に触れるよ」 「新しい、立希さん……」 未だ伏せ目がちで表情も暗いままの海鈴を支えるように、立希は彼女の肩に手を回す。海鈴は一瞬身体をこわばらせたが、その不器用ながら優しさを感じる手の温もりに身を委ねた。 「私も、新しい海鈴を知っていくだろうし……そうやってずっと心を満たし合っていくのが、私ののぞみだよ」 海鈴の肩を抱える立希の腕の力が強まる──彼女の不安を包み込むように。自分の頬で海鈴の頭に優しく触れながら、立希は静かに目を閉じて、ひかり輝く二人のこれからについて想いを巡らす。 「2人の新しい景色を一緒に見にいこうよ」 ─ JR東海 ─ ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『参考に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「祥子ちゃんったら全っ然分かってない!」 「突然なんなんですの……」 睦の自室、祥子と睦が雑談をしていたところ、燈との普段の過ごし方についての話題を聞くや否やモーティスが割り込んできた。 「祥子ちゃんがそんなんじゃ燈ちゃん、愛音ちゃんに取られちゃうんだからね!」 「……愛音さんは楽奈さんとお付き合いしてらっしゃるのでは……?」 「あの子にはそんなの関係ないの!私のそよちゃんにだって甘えてくるし睦ちゃんのことも懐柔しようとしてくるんだから!」 「まあ……!」 人懐こい方とは思っていましたが、と最近よく話す様になった友人の人となりについて聞いて素直に驚く祥子。 「だから祥子ちゃんも積極的に燈ちゃんとイチャイチャしなきゃなの!」 「ですが、私こういうことは不慣れでしてで」 困り眉の祥子に天啓を授けるが如く、モーティスはその自信を表情に浮かべてアドバイスを続ける。 「最初は真似から入るといいんだよ!身近な人をお手本にすればいいの!」 「というと──?」 「立希ちゃんの真似すればいいんだよ!」 「立希の?」 「そう!立希ちゃんと海鈴ちゃんはいっつもラブラブでしょ?それは立希ちゃんがいつも海鈴ちゃんに積極的にアクションしてるからなんだよ」 「確かに……お二人はいつも仲睦まじくて羨ましいですわ……」 RiNGのカフェで見かけたり、他の友人たちと一緒に出掛けた際の2人の様子を思い出し、少し頬を赤く染める祥子。 「うん、普段はツンケンしてるけど、こっそりアイコンタクトしてたり、こっそり小指触ってたり、こっそり肩を寄せ合ったり、こっそり耳元で囁いたり、こっそりキスしたり」 「全然こっそりできてませんわ……」 「だから祥子ちゃんもこれくらいやらなきゃダメなの。燈ちゃんの乙女心をキュンキュンさせなきゃ」 「そう、ですわね……ええ!分かりましたわ!私、立希を見習って頑張ってみますわ!」 「おぉー!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『見せたくない』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「絶対こっちだから」 戸惑う海鈴の腕をしっかりと掴み、立希は彼女をRiNGの外へと連れ出す。 「海鈴、今は私の側にいて」 まだAve Mujicaのメンバーとの話は終わってない──、未練がましく抗議する海鈴の顔に、立希の手のひらが添えられる。 「顔。さっき泣いたせいで目元腫れてるし、メイクもちょっと崩れてる」 「あ──」 つい先程まで激昂の涙を浮かべていたのを思い出す。あれほどまで感情を発露できたことに、今更ながら驚く海鈴。未だ火照る彼女の頬から手を離し、立希は少しバツの悪そうにこぼす。 「ごめん、海鈴のそういう部分は……まだあんまり他のやつに見せたくないから」 立希の言葉で、冷静さを取り戻す海鈴──それは決して冷めたわけではなく、内に秘める熱はそのままに心の芯がさらに奥深く刺さっていくのを感じていた。 「……お見苦しいところを」 「でも、新しい海鈴が見られて嬉しい」 立希に微笑みかけられ、全身をこわばらせていた緊張が解けていく。海鈴がゆっくりと目を閉じると、2人の身体が重なり合い、柔らかな部分でお互いの熱が混ざり合う。 「ぉ……立希ちゃん……かっこいい……」 「あはは、アツアツすぎて見てられないね〜」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『すぐにでも』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「感涙しましたよ三角さん」 「海鈴ちゃん……歌詞のこと?」 曲合わせのため若葉邸のスタジオに赴いた初華は、先に来て練習を始めていた海鈴に声をかけられた。 「でも海鈴ちゃんスタンプの反応早すぎだよ、中身読んでないでしょ?」 「いえ、あれは歌詞を用意してくれたことに対する感動です。三角さんもムジカ復活の望まれていたようで……嬉しかったです」 「でも、あんな歌詞……あれで良かったのかなって今も思ってる」 朗らかな表情の海鈴とは裏腹に、顔に影を落とす初華。海鈴は自分のスマホを取り出し、改めてそこに綴られている詩──彼女の願いに触れる。 「豊川さんに対しての三角さんの想い、ですよね?」 「想い……」 「ああいうふうに自分の気持ちを、臆さずに全てさらけ出せるのは──正直羨ましいです」 スマホを覗き込んだ姿勢のままの海鈴に、初華は優しい声色を投げかける。 「海鈴ちゃんには、受け止めてくれる相手が──どんな気持ちも受け入れてくれる人がいるでしょ?」 「……だといいのですが」 海鈴の持つスマホが短く震える。通知画面に現れた立希の文字を見るや否や、素早くトーク画面を開きスタンプを送信する。 立希 [海鈴、今日RiNGくる? 私はバイト入ってる] 海鈴 [スタンプ:愛しています] 立希 [ちゃんと読んでからスタンプ押して] 改めて立希からのメッセージを確認する海鈴。初華はそのわずかに緩んだ表情を見て、普段学校でよく見かける光景を思い出していた。 海鈴 [私は常にそう思っているので問題ないです] 立希 [ホントそういうところだからね?] 海鈴 [スタンプ:?] 立希 [海鈴の気持ちは直接聞きたいから。カフェ来て] 自分に向けられた視線に気づき、海鈴は軽く咳払いをしながら口元をまっすぐに結び直す。初華はそんな微笑ましい様子の彼女の幸せを願わずにはいられなかった。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『頼れる者に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「八幡さん、少しよろしいですか……?」 「なんですか」 練習終わり、ちょうど2人きりになったタイミングで祥子が海鈴に遠慮がちに声をかける。 「今後のライブスケジュール調整ですか?」 「いえ……いわゆるデートプランの話なのですけれど」 「詳しくお聞きしましょうか」 頬をほんのりと染めながらそう言う祥子の姿に物珍しさを感じつつ、その真剣な物言いに姿勢を正す海鈴。 「実は、最近よく燈に誘われて水族館やプラネタリウムに行っているのですが、たまには私からどこかへお誘いしたくて……」 それはそれは、と相槌を受けて祥子は話を続ける。 「八幡さんと立希はずいぶんと仲睦まじくお出かけしている、と愛音さんが楽奈さんに話されていたのを小耳に挟みまして」 「っ!……」 おもわず固まる海鈴を祥子が見つめる。先程とは打って変わって慈愛に満ちた微笑みを浮かべる祥子の表情に、質問の意図を察した海鈴は観念したように口を開く。 「……では、最近行って良かった場所や……デート中にやられて嬉しかったことなど……」 「そういうのが聞きたかったんですの!……では八幡さん、デートプランのアドバイス、お願いしてもよろしいでしょうか」 「──了解」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『大きさ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「私の方が立希さんのこと好きだと思います」 「はあ?突然なに?」 学校の自販機コーナーにて、唐突な海鈴の一言を受けて困惑の表情を浮かべる立希。 「立希さんは私のこと好きでしょうけど、それよりも私が立希さんのことを好きな気持ちの方が大きい、ということです」 自分に向けられた怪訝な視線に構うことなく、滔々と説明を続ける海鈴に、立希は呆れを通り越して乾いた笑いを出す。 「そういうの自分で言っちゃうんだ」 「事実ですから」 海鈴は自信を瞳に宿し力強く答える。 「確かに、海鈴の方が“好き”の気持ちは大きいかもしれないけど……」 そう言いながら、立希は緩んだ口元を正し、こちらを見つめてくる目の前の相手に近づいていく。心臓の鼓動が聞こえるほどにお互いの距離が近くなり、少し潤んだ部分で相手と感じ合う。再び口元が自由になると、海鈴の耳元で立希が囁く。 「──“愛してる”の気持ちは絶対私の方が大きい」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『奪わせない』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「今日はここまでしておきましょうか千早さん」 「そうだね、うみみん」 RiNGの練習スタジオ、お互いに楽器を構えて向かい合う愛音と海鈴の姿があった。 「それにしてもりっきーったら先に帰っちゃうなんて酷くない?」 「高松さんがご家庭の用事ならしょうがないのでは?」 楽奈とそよがそれぞれ不在、立希が燈と共に早めに帰ってしまったため、愛音は偶然RiNGで顔を合わせた海鈴に個人練を付き合ってもらっていた。 「だからって恋人置いて他の子送ってったりする〜?」 「それも立希さんの良いところの一つですよ」 うみみんったらりっきーに甘すぎ〜、とぼやきながら楽器を片付け始める愛音。恋人が他の人間と2人きりだというのに平然としている海鈴に、やれやれと諦観の目線を向ける。 「……でも、たまにはさ」 ケースに楽器をしまっている海鈴のそばに、愛音がしゃがんで囁く。 「私たちも、向こうに嫉妬させちゃおっか…?」 「千早さん……?」 突然愛音が身体を寄せてきたことに驚き海鈴が顔を向けると、すぐそこに、うっすら笑みを浮かべ物憂げにこちらを見つめてくる愛音の瞳があった。 「最っ悪──!」 「っ!立希さん……!」 「あれ〜っ!ともりんはどうしたのりっきー?」 突然部屋に入り罵声を浴びせてくる立希に、青ざめた表情を浮かべる海鈴。愛音のほうも冷や汗をかきつつ話題を逸らそうとするが、立希からの詰問は止まらない。 「駅まで送った。で?何してんの?」 「いや〜、ちょっとした冗談だよごめんごめん」 そそくさと部屋を後にする愛音に舌打ちをしつつ、未だ狼狽している海鈴との距離を詰めていく立希。 「立希さん……さっきのは、千早さんが……」 「そんなのは分かってる……でも、嫉妬させようって少しは思ったんでしょ」 すいません──、と口を開こうとした瞬間、海鈴の身体は立希の両腕で抱きしめられる。 「今はもう海鈴のことしか考えられない……!海鈴はこれで満足……?」 耳元で聞こえる立希の慟哭。腕の力がさらに強まり、お互いがお互いの身体に沈み込んでいるような気さえ覚えた。 「立希さん……少し苦しいです……」 「私の苦しさはこんなもんじゃない──もう一生離さないから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『今はそばに』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「食べますか?」 睦の部屋、ベッドに沈むモーティスに、海鈴がプロテインバーを手にしながら声をかける。 「いりませんか……」 一向に返事のないベッドに気落ちしつつ、手元のスマホに視線を移す海鈴。画面には書きかけの日記。 「──恋バナしますか?」 「……して」 †☆・*:.。. .。.:*・☆゚・*:.。. .。.:*・☆゚・*:.。. .。.:*・☆† それから海鈴は小一時間ほど、耳だけをわずかにこちらに向けたベットの主に対して、滔々と自分の思い出を語った。まどろみのなか、モーティスが顔を背けたまま口を開く。 「立希ちゃんから、愛してるって言われたことある?」 「……何回か」 「──うらやましい」 そう言って、耳まで覆うようにベッドに潜るモーティス。部屋の中は再びしんとした静けさに包まれる。 「私は……しばらくはここにいますよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『誘惑』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴の髪、綺麗な黒色だよね」 「ありがとうございます」 昼下がりの学校、中庭のベンチに座る立希は同じく隣に座る海鈴の髪を優しく撫でる。立希の指が髪の間を梳くように通り抜けるたびに、海鈴の身体に恥ずかしさと多幸感が交互に流れていく。 「襟足がちょっと跳ねてるのも海鈴っぽくて良いね」 「あの……さすがに恥ずかしいのですが……」 そう言って立希の手をゆっくりと払いのける海鈴。表情こそ変わらないものの、耳や頬の内側にはじんわりと熱がこもり、動かした手にはぎこちなさが乗っていた。 「海鈴おいで」 「っ!」 払いのけられた手で自分の太ももをトントンと叩き、海鈴に微笑む立希。それの意味することを察した海鈴は、一瞬硬直したのち顔を伏せて逡巡する。ちょうど視線を下げた先には立希の太ももがあり、もはや海鈴の思考は自分自身で御せるものではなくなっていた。 「……失礼します」 ふわりと、やや遠慮がちに乗せられた海鈴の頭を、立希の手のひらが優しく包む。やや肌寒い気温の中で、むしろ暑いくらいの熱が海鈴の身体の奥から発せられていた。 「海鈴、猫みたい」 「猫扱いは──なんか嫌です」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『チェック済み』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「どうですか立希さん」 待ち合わせ場所で立希と会うやいなや、全身のコーディネートを見せびらかすようにポーズをとる海鈴。 「この前ヤケ買いした服?」 「ちがいます」 海鈴を軽くいなして歩き出す立希。同じように隣を歩き出す海鈴だったが、負けじと話題を続ける。 「このまえJR東海さんの仕事をした時に着た服ですよ。気に入ったので買い取ったんです」 「知らないけど……いつもの服装とテイスト同じじゃん。せめて三角さんくらいイメージと違う服着たら?」 「三角さん私服はたまにあんな感じですよ……ちょっと待ってください、なんで三角さんの服装は知ってるんですか?」 怪訝な顔をして立希に詰め寄る海鈴。バツの悪そうな表情を浮かべ、思わず足を止めてしまう立希だったが、すぐに観念したようにぽつりぽつりと白状する。 「──ネットも雑誌もテレビも、海鈴が出てるやつは一通りチェックしてたから……」 「今日の服、似合ってますか?」 恥ずかしさで縮こまる立希に向けて、海鈴は笑みを浮かべながら改めて服装を見せる。ふ、と笑い返した立希は、そのまま海鈴の手を取り歩き出した。 「すごく似合ってる──やっぱり隣で、リアルで見る海鈴が一番可愛い」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『ここから』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「──前言ってた、本当にムジカやってたのってあれ」 「しばらくは、頭の中でこだましていましたよ」 そう放たれた海鈴の言葉で、自販機にもたれかかる立希の表情に陰がかかる。 「気にしないでください、そのおかげでやり直す決心がつきました」 力強く言い切り、気丈に振る舞う彼女の姿を、立希の瞳がまっすぐに捉える。 「……でも、正直不安の方が大きいです。最初に組んだバンドは上手くいかず、それ以降は技術面でしかメンバーと接していないような──そんな人間に何ができるのか」 「海鈴、やる前から諦めてどうすんの」 未だ不安げな眼差しを向ける海鈴の肩に、立希の手のひらがそっと置かれる。その彼女の手のひらからじんわりと伝わる熱で、心の奥まで纏う冷たい靄が晴れていく様だった。 「海鈴の のぞみは?」 「……信じ合える人たちと、バンドをやりたい──Ave Mujicaに、再び月のひかりを……」 もう海鈴の心に迷いはなかった。彼女には、いつだって光明を指し示してくれる相手が側に寄り添ってくれているのだから。 「なら、ここから頑張るしかないでしょ、今まで向き合えてなかった分まで──大丈夫、海鈴ならできるよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『これからは』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ごめん海鈴おまたせ──」 「立希さん!どうして電話に出てくれないんですか!」 駅前、待ち合わせ場所にやってきた立希の姿を見るや否や、掴み掛からんとする勢いで詰める海鈴。 「連絡もなしにこういうのやめて欲しいんですよ!」 「海鈴ほんとにゴメン!スマホの充電忘れてて……」 弁解の物言いを遮るように、海鈴はその場にしゃがみ込み、人目も憚らずむせび泣き始める。 「海鈴!?」 「うっ……ぐす……私、立希さんに、見捨てられたのかもと……思って……」 「バカ!そんなわけないでしょ!」 立希にとってそれは突拍子もない様な話ではあったが、未だ泣き止まぬ彼女の──その縮こまった背中に自責の念を感じられずにはいられなかった。 「本当にごめん海鈴……」 「……なら、今日はずっと、側にいてくれますか……?」 目元をはらした顔で立希を見上げる海鈴。その涙でぐしゃぐしゃになった顔を隠すように、立希は海鈴の肩に手を回し頭を寄せる。海鈴はゆっくりと目を閉じ、その暖かな体温を伝えてくれる彼女からの返答を静かに待った。 「……今日だけじゃないよ。もうこれからは──ずっと一緒にいよう海鈴」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『いつでも』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「立希さんは気軽にキスしすぎじゃないですか?」 「はあ?嫌なの?」 「そういうわけではないんですけど……」 学校の自販機コーナー、ひとかたまりに重なっていた二人の影がゆっくりと離れる。潤んだ唇に指を軽く添えながら、海鈴は立希に怪訝な視線を送る。 「扱いが軽いというか……それに何より……」 「?」 要領を得ない返答にきょとんとした表情を浮かべる立希に、若干目を伏せながら口惜しげにこぼす海鈴。 「毎回私の方がドキドキさせられてて、ちょっと悔しいです」 少し肌寒いくらいの乾いた空気の中で、二人の間がほのかに熱を持つ。心臓の鼓動を確かめるように自分の胸に手を当て、耳元をわずかに紅潮させた海鈴に、立希が苦笑しながらそっと近づき囁く。 「……私は毎回すごく気持ちを込めてしてるし、むしろ悔しいのはこっちの方だよ」 「それはどういう──」 困惑顔の海鈴を見つめ続けながら、立希は海鈴の手を自分の胸元へ寄せる。突然、手のひらに受けた緩やかな衝撃に海鈴の心臓がさらに大きく高鳴る、しかし、その手のひらからは、しっかりとした熱と共に規則的に繰り返す確かな鼓動が伝わっていた。 「私は常に海鈴にドキドキさせられてるから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『ずっと手元に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「Ave Mujicaのメンバーって捨てられた人形なんでしょ?」 「はい、その通りです」 客足もまばらなRiNGのカフェ、カウンター越しに立希が海鈴に話しかける。彼女から振られる話題としては珍しいものだなと思いながら、ホットチョコレートを片手に海鈴が答える。 「ロフトムーンの月の光を浴びている間だけ、仮初の命を与えられる、捨てられし人形たち──それが私たちAve Mujica」 「っていう設定ね」 「まあはい。豊川さん渾身の舞台設定ですね」 つい説明に熱が入り、カフェの静寂の中で自分の声を響かせてしまったことに気づき、咄嗟にバンドリーダーの名前を挙げて気恥ずかしさを紛らわそうとする海鈴。 「意味わかんない」 「立希さんはそう言うでしょうね」 寸劇を前面に推し出すようなバンドはバンドと認めない、とは過去に立希の口から聞いた言葉だった。カウンターから出てきた立希が、苦笑する海鈴にお冷を注ぎながら言う。 「違う、そういう意味じゃなくて」 先程まで水差しを握っていた立希の手が海鈴の顔に伸びる。ひんやりとした感触が海鈴の顎をつたうと同時に、熱を帯びた眼差しが向けられる。 「海鈴みたいな可愛い人形を捨てるっていうのが、理解できない」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『かわいいだけじゃない』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴はあんまり人形って感じしないよね」 立希の自室。ベッドのそばに座っている海鈴に話しかける立希。 「……無愛想で可愛くないからですか?」 「そうじゃない」 操作しているタブレットに視線を落としたまま、やや不機嫌に答える海鈴に苦笑しつつ、立希はベッドに腰をかけ彼女の身体を自分の腕の中に収める。 「私の知ってる海鈴は、人形みたく大人しくしてる奴じゃないから──」 耳元で囁かれたこそばゆさを取るように、自分の頭を立希の腕に寄り添わせる海鈴。じんわりとした暖かさに包まれながら目を閉じると、自分のこれまでの──数々のバンドでの立ち居振る舞いが思い出される。 「そういう意味でしたら……今までの私は人形みたいなもので……」 「今はもう違うでしょ。もう演奏するだけの人形じゃないでしょ──理想のために、自分から動く、血の通った立派な人間だよ」 「……では、いずれ立希さんの手にも余ってしまうかもしれませんよ」 こちらを見上げ、少し挑戦的な笑みを浮かべる海鈴の表情に、思わず笑みが溢れる立希。彼女を抱き抱える腕に、さらに力が込められる。 「おもしれー女の子……」 「その言い方は──ちょっと、いや、かなり嫌です」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『失言』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴、最近丸くなったね」 「…………へ?」 立希が今までに耳にしたことの無い、海鈴の調子はずれな声が、中庭に響く。 「は?うそ……目に見えて?……本当に……?」 海鈴はその顔をどんどん青ざめさせながら、自分の身体を恐る恐る触って確かめていく。呆気にとられポカンとした表情の立希だったが、その様子を見て会話の齟齬に気づく。 「あ……体型の話じゃなくて、性格の話」 「──性格?」 「ごめん……」 相手の、おそらくデリケートな部分の話題に思わず言及する形になり、バツの悪そうな顔で視線を外す立希。グシャっと、紙パックを握りつぶした音の後、怒気をはらんだ海鈴の声が立希の耳を叩く。 「紛らわしい言い方するのやめて欲しいんですよ!」 「ごめんって……海鈴はいつでもスマートな体型で可愛いよ……」 目元にうっすらと涙を浮かべながら睨んでくるその気迫に押され、立希はいつもの様な軽口を叩けず、弱々しく宥めることしかできなかった。 「……悪いと思ってるなら──今週は毎日夜寝るまで通話して下さい朝もモーニングコールして下さい週末もずっと一緒ですよ」 「海鈴たまに重いんだよな」 「だからそういうのやめて欲しいんですよ!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『お返しは』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「立希さんこれホワイトデーです」 「ああ、ありがと」 学校からRiNGへ向かう途中、立希は大きめの紙袋を海鈴から手渡された。 「……なんか随分大きくない?」 「いろいろなお菓子の詰め合わせです。マカロン、バームクーヘン、マドレーヌ、キャンディーやキャラメルまで入っていますよ」 「いろいろ気にしすぎでしょ……」 「立希さん!こういうので間違うと大変なんですよ!立希さんだってマシュマロやグミを貰ったらがっかりするでしょう!」 「いや知らないけど……」 海鈴の意外な気迫に気圧され、たじろぐ立希であったが、お返しとばかりに維持の悪い笑みを浮かべていう。 「海鈴のことだからてっきり“お返しは私です”とか言うのかと思った」 「──っ!」 ──バレンタインの日から常に頭の中にあったその言葉を、バレンタインの日から今の今まで言うかどうか迷っていた言葉を立希の方から突きつけられ、言葉に詰まる海鈴。赤くなったり青くなったりする彼女のその様子を見て、立希は宥めるように囁く。 「海鈴、いつも隣にいてくれてありがと」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『当たりは』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴、この前くれたやつありがとう」 「プロテインバーですか?なら良かったです」 教室で談笑する立希と海鈴。話題は先日海鈴が立希へお裾分けしたAve Mujicaプロテインバーについてだった。 「作業中、小腹すいた時とかさっと食べられるから助かってる」 「在庫はまだありますのでまた差し上げますよ」 贈り物が喜ばれたことで思わず表情が緩む海鈴。もし事務所にまだ在庫があったなら更に家に持ち帰っておこうとも思った。 「あれカードついてくるでしょ?ちょっとしたおみくじみたいだよね」 「それはそれは……ではハズレはアモーリスですか?」 「いや、ティモリス」 予想だにしてなかった立希の一言で、視界が一気に白ばむ海鈴。脚がわずかに震え、思わず手に持った紙パック飲料を落としそうになる。 「──だって、あんなカード1枚に海鈴の魅力は収まりきらないから」 失意の海に溺れそうになった彼女を救いあげたのは、同じく立希の一言だった。立希は手のひらで海鈴の頬を優しく包むと、愛おしげな熱を瞳にのせる。 「実物の海鈴は、ものすごく魅力的で──ものすごく可愛い」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『お土産』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「では立希さん、また明日学校で」 「うん、またね海鈴」 RiNGのカフェにて、会計を済ませた海鈴は立希に挨拶をして店を後にしようとする。 「あ、海鈴忘れ物」 振り向くと、突然その唇に柔らかい感触が伝わる。目の前の、立希のさらりと伸びた睫毛を見ながら思わず硬直してしまう海鈴。店内に他に人影はなく、世界の時間が止まってしまったような錯覚さえ覚えた。 「っ……!──突然こういうのやめて欲しいんですよ!」 自分の心臓の鼓動で我に帰った海鈴が、腰と顎に添えられた立希の手を払いのけつつ後ずさる。いつもなら表情を変えずやり過ごせる彼女でも、突然の不意打ちに頬と耳を赤く染め上げられてしまう。 「ごめん……嫌だった?」 払いのけられた腕を所在なさげにしながら、立希は目の前の彼女の呼吸が落ち着くのを待った。 「──じゃないです」 「?」 「嫌じゃないです!けど!……トキメキすぎちゃうんですよ!」 一度は落ち着いた海鈴の心臓の鼓動が再び速くなる。それに呼応するかのように、立希も自分の胸の内から強いリズムが響いてくるのを感じる。 「私、海鈴のこと大好きだから──毎日海鈴のことトキメかせたいんだよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『真意は』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「さっき三角さんに浮気って言ってたけど……」 「三角さんも私の大切なAve Mujicaのメンバーですからね、他のバンドにふらふらされては皆が困ります」 校舎の自販機コーナー、先ほど初華からもらったミルクチョコを飲む立希に、うらめしそうな視線を送る海鈴。 「でも海鈴はムジカ入ってからも私に結構話しかけてきたじゃん」 「え──でも、だって……私と立希さんは……」 「ムジカの他の人たちから海鈴への信用問題にも繋がるから、人前ではあんまり喋んない方がいいかもね私達」 「ま、待ってください立希さん!」 突然浴びせられた立希の言葉に、青ざめていく海鈴。よたよたと近づき、とりすがってくる彼女の身体をそっと腕を回し、立希は諭すように言う。 「さっき浮気って言ってたのは?」 「……三角さんが、立希さんとおしゃべりしてるのに……嫉妬、してしまって ──つい浮気と」 「後で三角さんにちゃんと謝っておきなよ」 「はい……」 そう言いながら海鈴は恐る恐る顔をあげ、立希を見る。未だ青ざめたままで目元にうっすらと涙を浮かべている彼女に、立希は優しく微笑むと、その頬に唇で軽く触れる。  「私も──いじわる言ってごめん、好きだよ海鈴」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『バレバレ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「三角さんと何か話した?」 「何かとは?」 「……私が、パンダ好き、とか」 自販機に寄りかかりながら、立希は少し訝しげな眼差しを海鈴に向ける。 「そういう話はした覚えはありませんが……三角さんとは主にスケジュール調整など仕事の話くらいしかしてませんし」 「ああそう……じゃあさっきのは海鈴が前に私に飲み物くれてたの見られてただけだったんだ……」 「?パンダが好きなの知られたくないんですか?」 困惑の表情を隠せない海鈴。立希の使う文房具や、カバンについているキーホルダーなど、数々のパンダグッズを思い浮かべていた。 「え!……いや、なんか、恥ずかしいじゃん」 「いいじゃないですかパンダ好き。ギャップがあって可愛いですよ」 顔を赤らめる立希と柔らかに微笑んでいる海鈴。いつもと逆転したような立ち位置になっている悔しさと気恥ずかしさを紛らわすように、立希は顔をきりりと引き締めるようにして海鈴に向き合う。 「っ!……わ、私の可愛い部分は、海鈴にだけ知ってほしいから」 「いやパンダに関してはバレバレだと思いますよ」 「おい!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『恋文』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「立希さん。私も立希さんからラブレター貰いたいです」 「はあ?いきなり何?」 昼下がりの中庭。海鈴からの突然のお願いに、思わず声を荒げる立希。 「うちのバンドリーダーは高松さんにラブレターを渡したそうですよ。千早さんからお聞きしました」 「え……さき、ともっ……は?なんで……え、愛音?」 「とても素敵なお話だと思いました。私も応援しています」 情報を整理できずに狼狽える立希を横に、海鈴は静かな感激で瞳を輝かしていた。少し間を置いた後、立希は小さな咳払いをして仕切り直すかのように口を開く。 「……祥子が書いたんなら同じムジカのお前が書くんじゃないの?」 「少し……恥ずかしくて……」 唖然とする立希。しかし、耳先をわずかに赤く染めながら視線を外す海鈴の、そのしおらしさに当てられ、自然と笑みが込み上げてくる。 「私の気持ちは、普段から十分に伝えてるでしょ?」 口を開きかけた海鈴の顔に立希の手が優しく添えられる。その柔らかな手のひらに顔を預けながら、海鈴は続く言葉を静かに待った。 「それに──手紙だけじゃ海鈴への想いは全然表現しきれないよ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『呼び方』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「私のこと、うみりんって呼んでいいですよ」 「は?突然何?」 休み時間の教室。いつものように唐突に立希に話題をふる海鈴の姿があった。 「私たちもそろそろ次のステップに進むべきかと思いまして……りきりん」 「マジでやめて」 お前のネーミングセンスあのピンクと一緒じゃん──との立希の苦言を意に介さず、海鈴は至って彼女を心配するような声色で説明を続ける。 「バンドリーダーから名前で呼ばれるようになりまして、それで立希さんが優位性を失って嫉妬してしまわないように、と思ったのですが……」 「……いや睦もお前のこと海鈴って呼ぶじゃん。三角さんだってちゃん付けで呼んでるし──」 「そう、ですか……」 表情こそ変わらないものの、どことなくシュンとした雰囲気を纏い始めた海鈴の姿を見て、やれやれといった表情で彼女の手をとる立希。 「呼び方なんて関係ないんだよ」 海鈴の手が立希の頬に触れ、柔らかさと温かかさが伝わっていく。 「私が“海鈴”って呼ぶ時に、どれだけ気持ち込めてると思ってんの──?」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『ただそれだけ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「Ave Mujicaは神が率いるバンドなんですよ」 「……はあ?」 放課後の教室。間の抜けた立希の声が響く。 「ですから、Ave Mujicaのバンドリーダーは神なんです」 「待って。海鈴たちって人形じゃなかった?」 「それは設定の話です。現実では神です」 「全ッ然意味わかんないんだけど」 真面目な表情で滔々と話を続ける海鈴に、怪訝な顔を向ける立希。 「さしずめ神の使いである私たちは天使、ということになるんですかね?」 「知らないけど」 そう言いながら立希は荷物をまとめて下校の準備をする。立希がRiNGのバイトの日であることは海鈴も把握しており、既にその手には鞄と楽器ケースが握られている。 「立希さんは天使の私と人形の私、どちらがお好みですか?」 「どっちでも関係ない」 立希の手が海鈴の腕を掴み、そのまま教室の外へと引っ張り出す。廊下の窓から差し込む光をその揺れる髪の毛に反射させながら、立希は海鈴に笑いかける。 「私の隣にいる時は、ただの八幡海鈴以外の何者でもないでしょ?」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『私のために』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ここのカフェなんか抹茶のメニューが多くないですか?」 「……気のせいでしょ」 RiNGのカフェにて、メニュー表を手に訝しげな視線を立希に向ける海鈴の姿があった。 「立希さんの提案だとお聞きしましたが?」 「バンドのためだから」 と言いながら顎を動かして店の奥へと視線を移させる。ステージ近くのテーブルには、いつものように抹茶スイーツを楽しむ楽奈と愛音の2人が見えた。 「……要さんのため、ですか」 「メンバーが練習に来ない辛さは海鈴にも分かるでしょ?」 「っ!……それでも、嫉妬してしまいます──」 「海鈴をモノで釣る気はないし……そもそも、その必要もない」 注文のホットチョコレートを海鈴の前に置きながら、立希は彼女に明るく笑いかける。 「私がいるだけで、それだけで海鈴は来てくれるから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『視線の先に』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「立希さん、この前一緒にした仕事のことなんですが──」 「その話やめて」 「立希さん私のこと見過ぎじゃないですか?」 「だからやめてって!……何の話?」 放課後の教室。海鈴はカバンから数枚の書類を取り出し、立希に見せる。 「いや……これ偶然そう見えるだけでしょ、1人ずつ写真撮影したんだから。ていうか学校にこういうの持ってくるのマジでやめて」 そう言ってやや乱暴に海鈴に書類を突っ返す。少しシワの入ってしまったその紙には、Ave MujicaとMyGO!!!!!が共に依頼を受けたコンビニのキャンペーン用写真が印刷されていた。 「私、綺麗な顔とスタイルしてるのでこういうメンズスタイルが抜群に似合ってしまいますからね」 「はいはい」 「ウェイトレス姿の立希さんもとても素敵です。感涙しました」 「……バカにしてるでしょ」 無表情で褒めてくる海鈴をキッと睨みつけながら、一刻も早くあの衣装を着たことを記憶から抹消しようと努める立希。しかし、目の前で瞳を輝かせながら写真を見つめる海鈴の姿を見て、思わず笑みを浮かべてしまう。 「……まあでも、この衣装が海鈴に似合ってて──すごく魅力的に見えるのは事実かな」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『目的地は……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴、そろそろ時間じゃない?」 放課後、学校の中庭。寄り添いながらベンチに座る立希と海鈴。自分の頭を立希の肩に預けたまま、海鈴は視線を合わせずに口をひらく。 「すいません立希さん……もう少しこのままで」 「……不安?」 「そうではないですけど、何か、終わりというか──区切りがついてしまいそうで……」 再出発を果たしたAve Mujica。海鈴はそこにこれまでにない充足感を得られていたが、それと同時に、満ち足りることへの恐怖、再び立希と離れたところに向かう憂慮の感情に囚われていた。 「ただの分かれ道だよ」 「分かれ道?でもそれじゃあ──」 別々の道を行くことになってしまう──寂しげな表情を浮かべる海鈴を晴らすように、髪を撫で微笑みかける立希。 「目的地が同じなら、その先でまた一つの道になるよ」 「目的地……」 「私の目的地は──海鈴だよ。……海鈴の目的地は?」 「──立希さん」 そう口にした途端、靄のかかった海鈴の胸の内に暖かな光明が差す。柔らかく穏やかなひとかたまりの影の中で、2人は、これからのことについて確かな煌めきを見出していた。 「だから、また明日ね。海鈴──」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『離れていても』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「……もしもし?」 RiNGのステージ裏。楽屋を出た立希がスマホの着信に応答する。 「別に、今ライブ終わって帰るとこ……もしかして時間見計らってたの?」 通話しながら、同じく楽屋を出た他のメンバーに対しジェスチャーで先に行くように促す立希。意味ありげなニヤけ面を向けてくる愛音に睨みを効かせながら通話を続ける。 「そっちも終わったんだ……はいはい、お疲れ様」 「はあ?見れるわけないじゃん、こっちもライブだったんだから」 「アーカイブ?……まあ気が向いたら見る」 「え?いやそういうの外部に教えたらダメなんじゃないの?」 「いやマジで信用問題になるでしょそれ」 「……ちょ!いきなり大声出さないで!……わかったごめんちゃんと後でアーカイブ見るから!」 立希があたりを見回すと、少し離れたところからニヤニヤとした表情の楽奈と目が合う。狼狽えた様子を見られていた気恥ずかしさと、楽奈の手がおそらく3個目のコロッケに伸びようとしていたことから、早足で彼女に近づき腕を引っ張って外へと促す。 「ああこっちの話。そろそろ切るよ」 「……うん、本当に良かったと思う。でもこれからだからね」 「じゃあまた学校で──おやすみ海鈴、愛してる」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『ファンサ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「うちのドラムのファンサがすごいんですよ」 「は?何急に」 昼休みの教室。飲み物を片手に海鈴は立希に話しかける。 「うちのドラムの祐天寺さん、演奏中にスティックを投げたり、ウインクやポーズも決めるんですよ」 「あっそ」 「立希さんもそういうのやりませんか?」 「はあ?やるわけないでしょ。ドラマーはドラムの演奏に集中するべきなんだよ」 そう言いながら視線を外して次の授業の準備を始める立希に、訝しげな視線を向ける海鈴。 「……ポピパの山吹さんもスティック回したりしてますよね?」 「う──それは……」 以前した会話の中で、先輩ドラマーのそういったパフォーマンスについて好意的に話していたことを思い出し、言葉に詰まりそうになりながらもなんとか言い返そうとする。 「……うちには既に無駄にファンサする奴が2人もいるから、私はそういうのしないの。はい、もうこの話終わり」 そう言い切りながら見上げると、少し寂しげな顔の海鈴と視線が合う。あまりにも分かりやすい反応に、立希の表情が思わず和らぐ。 「私がファンサするとしたら──海鈴にだけだから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『映せないのは……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「祥子、あれどういうこと?」 「急になんですの立希」 声色に纏う棘を隠すことなく、今にも食い掛かりそうな勢いで祥子に詰めよる立希の姿があった。 「Ave Mujicaのこの前のライブ、なんなのあのカメラ!ああいうの全部祥子が決めてるって聞いたよ」 「そうですが……何か問題ありまして?」 「とぼけないで……!──海鈴のあれは何?」 「立希さん……いいんです私は、それがバンドリーダーの決定なら……」 立希の後ろから、不安げな表情の海鈴が弱々しく声を出す。 「彼女の魅力がよく伝わったと思っておりますが?」 「ふざけないで!海鈴にはもっと見せるべきとこがあるでしょ!……今の海鈴が、どれだけ楽しそうな顔して演奏してるか祥子だって知ってるはずなのに!」 どんどん熱くなっていく立希とは対照的に、祥子はあくまでも冷ややかな目を向けたまま口を開く。 「はあ……いくら仮面を外したといっても、海鈴の顔をおいそれとカメラに映すことなんて出来ませんわ」 得心のいっていない困惑の表情を浮かべる2人に対し、祥子は少しおどけるように微笑む。 「だって……ティモリスの素顔──八幡海鈴のとびっきりの笑顔は、立希だけのものですから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『ローソン店内放送』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「我、恐れることを恐れる勿れ……ローソンでお買い物中の皆様、はじめまして、Ave Mujicaのティモリスと申します」 「……MyGO!!!!!の椎名立希です」 「立希さん、笑顔でお願いします」 「ちょっと!いきなり台本に無いこと喋んないで!ていうかお前も笑ってないでしょ」 「現在ローソンではAve MujicaとMyGO!!!!!のオリジナルグッズが販売中です」 「チッ……また、店頭だけでなくロッピーでも商品の購入が可能です」 「商品は数量限定につき、なくなり次第終了となります」 「……限定商品もあるので是非チェックしてみてください」 「MyGO!!!!!の、特に立希さんのとびきり可愛いウェイトレス姿は必見ですよ」 「マジでやめて」 「まあAve Mujicaメンバーの格好良さはみなさんご存知でしょうが──」 「ティモリスじゃない、海鈴の普段の可愛い姿を知ってるのは私だけだけどね」 「──っ!」 「MyGO!!!!!の椎名立希と」 「……Ave Mujicaのティモリスでした」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『卒業旅行は……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「立希さん、卒業旅行はどこに行きたいですか?」 「はあ?私たちまだ高1なんだけど」 昼下がりの教室。いつものように海鈴が飲み物片手に立希に話しかける。 「事務所に北欧旅行のパンフが置いてありまして。やはりヨーロッパが定番でしょうか」 「……祥子はまあそこらへん好きそう。三角さんはなんかニューヨークって感じもするけど」 「私はどこのイメージですか?」 「タイ」 「焼きそば以外のことも考えてください!」 つい大きな声を上げてしまった気恥ずかしさを紛らわすように、海鈴は軽口をたたく。 「まあ、立希さんは私と一緒ならどこでも楽しいでしょうけど」 「それは海鈴もでしょ」 「っ!……卒業までに考えておいてくださいね」 そう言いながらそそくさと自分の席に戻ろうとする海鈴の腕を立希が掴む。驚いて振り向くと、柔らかに微笑む立希と視線が交わる。 「──卒業旅行の前に、まずは海鈴の故郷に行ってみたいな」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『私だって』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「海鈴お待たせ」 「バイトお疲れ様です立希さん」 RiNGのロビー。バイトを終えた立希が階段下で待っていた海鈴に声をかける。 「海鈴も自主練おつかれ」 「いえ、では帰りましょうか」 そう言い合いながらRiNGを後にし、駅へと向かい出す2人。 隣で歩く立希の長い髪が揺れるたびに、ほのかな香りが海鈴の鼻腔をくすぐる。 「立希さんからコーヒーの良い香りがします」 「本当?まあバイト終わりだし──って海鈴近い!」 「立希さんの匂い、とてもいい香りです」 「わざと変な感じに言わないで!」 失礼──と無表情で言い、何事もなかったかのように先を歩き始める海鈴。立希は一瞬唖然とした後すぐに表情を戻すと、スッと両腕で海鈴を後ろから抱きしめ、彼女の首元あたりに顔を埋める。 「っ!」 「私だって、海鈴の匂い好きなんだけど──?」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『差し入れに』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「山吹先輩、ちょっといいですか?」 「立希ちゃんどうしたの?」 客足の落ち着いたRiNGのカフェ。バックヤードで作業する沙綾に立希が話しかける。 「先輩のお店って、やきそばパン置いてあります?」 「ああ〜!もちろんあるよ!食べづらいからあんまり差し入れしてないけど」 「そうですか。じゃあ今度買いに行くかもしれません」 バイト業務以外のことを質問してきた彼女に珍しさを感じる沙綾。 「立希ちゃん、やきそばパン好きなんだ?」 「あー……そういうわけではないんですけど……」 「あ!じゃあいつも一緒にいるあの子が好きなんだ」 「っ!……まあ、そんな感じです」 思わぬ返しに耳をほんのり赤く染めつつも平静を装おうとする立希の言葉を、沙綾はニコニコとした表情で聞く。 「そもそもあいつ普段プロテインとビタミン剤とかで済ます癖あるんで……ちょっと心配っていうか……」 「ふふっ、立希ちゃんにここまで愛されてるなんて、幸せ者だね〜」 「……あんまりからかわないでください」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『4/7』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 穏やかな春の日の昼下がり。中庭のベンチで影をひとつにまとめている立希と海鈴の姿があった。 頭を立希の肩に乗せ、静かに目を閉じている海鈴。立希は寄り添ってくる彼女の身体を優しく支え、手のひらを包むようにそっと握る。 校舎からの生徒の喧騒は遠くにかすみ、草木が揺れる音と海鈴の静かな寝息だけが立希の耳をくすぐっていく。 寄りかかる身体を通し、じんわりとした温かさが共有される。心地よく柔らかい風に包まれながら、ゆっくりと目を閉じる立希。 口の中に残るミルクチョコの余韻がかすかに鼻へと抜けていくとともに、身体の中で響く心臓の鼓動の音がだんだんと大きくなっていく。 握った手のひらを動かすたび、呼応するかのようにゆっくりと握り返される。軽く絡まる指先、触れ合う手のひら、重なり合う腕。お互いが、お互いの存在を確かめ合うように、柔らかに触れ合う。 ──暖かな日差し、微睡の中。立希と海鈴の2人がいた。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『帰り道に……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「立希さん、コロッケ揚げたてみたいですよ」 「ほんとだ、どうりで良い匂いしてると思った」 RiNGからの帰り道。隣を歩く立希の袖をつまみながら、海鈴は遠慮がちに口を開く。 「……せっかくなので食べますか?」 「いや、家に晩御飯あるし……ていうか海鈴も買い食いあんましないよね?」 「まあ、そうですね」 パッと手を離し、いつものように無表情で返事をする海鈴。不愛嬌な話の振り方に、立希は冷ややかな目線を向ける。 「そういう適当な会話するの良くないよ」 「な……!」 足を止め、言葉に詰まる海鈴の様子に、普段の言動との違和を感じた立希は表情を緩め、諭すような物言いで問いかける。 「それで、なんで急に買い食いする話したの?」 「……少しでも、立希さんと一緒にいたくて……」 俯きがちにそう呟く海鈴の横髪を優しくかきあげながら、立希は、ふ、と微笑む。 「最初からそう言いなよ──私だって、海鈴ともっと一緒にいたいって思ってるんだから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『楽しみは……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「おや立希さん、奇遇ですね」 RiNG近くのショッピングモールにて、偶然顔を合わせた海鈴と立希。海鈴が手にしているいくつかの衣服を見て立希は怪訝な顔を向ける。 「何?海鈴お前またヤケ買いしてるの?」 「普通に服を買いに来ただけです。Ave Mujicaは安泰ですから」 「はいはい」 軽くあしらう立希の半ば呆れたような表情を無視して、海鈴は手に持っていたトップスを自分の身体に当てながら話を続ける。 「もしよかったら意見聞かせてください。リクエストにもお答えしますよ」 「……別にいい」 「そう遠慮なさらず」 「いや、本当にいいんだって」 「そうですか……」 返答されるたびに、眉が徐々に下がりあからさまに消沈といった様子を見せる海鈴。はあ、とため息をついて、少し困ったような顔をしながら立希は口を開く。 「だって、次にデートする時まで楽しみは取っておきたいからさ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『憧れよりも……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「……なんかニヤついてませんか?」 「はあ?別にいつも通りだけど?」 RiNGのカフェにて、海鈴はカウンターで作業をする立希に訝しげな目線を送る。 「それはねうみみん」 千早さん──と声をかける前に愛音が話の続きをする。 「りっきーはね〜、さっきAfterglowの美竹さんとお話ししてたんだよ」 「余計なこと言わなくていいんだよ!」 立希からの怒声から逃げるように、愛音はニヤついた顔のまま店内の奥、楽奈の座る席へと向かう。 「ほう、お話し、ですか」 「今日が誕生日だったから、おめでとうございますって言っただけ……」 「それは、それは」 手に持ったカップに浮かぶ波紋を見ながら相槌を打つ海鈴。会話を切るように、目を閉じながら味のぼやけたドリンクを口にする。 「──海鈴」 改まった声色で名前を呼ばれ海鈴が顔を上げると、真剣な、熱を持った──胸の奥まで届くような眼差しに見つめられる。 「憧れの人は何人かいるけどさ、私が恋焦がれるのは海鈴だけだよ──」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『木漏れ日の中で』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ある日の昼下がり。校舎の中庭、暖かな陽光が木漏れ日として敷かれるベンチに、真っ白な夏服でお互いを照らしあう海鈴と立希の姿があった。 少し俯きながら目を閉じ、静かに寝息をたてている立希を隣で海鈴が静かに見守る。風に揺れる艶のある長い髪に、細かな日の光がキラキラと反射するたび、海鈴の心のうちがだんだんと熱をもつ。 「……何してんの?」 立希が横目で睨んだ先には、今まさに手に持った紙パック飲料を立希の頭へ乗せようとする姿勢の海鈴がいた。 「あまりにも無防備でしたので、つい」 姿勢をそのままに無表情でそう言い切る海鈴を見て、呆れつつも思わず笑みをこぼす立希。 「新曲作りでお疲れなのはわかりますが……あまりだらしない姿を見せるのは……」 「ここが一番安心できて落ち着く場所だから」 「──っ!」 再び目を閉じ、身体全体を海鈴の方へ寄せる立希。肩に乗せられた立希の頭の重みを感じ、海鈴の胸が大きく高鳴る。 温かみを帯びた風に優しく包まれ、2人の髪が柔らかに触れ合っていく。 「海鈴の隣にいられて、私は幸せだよ──」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『心配性』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「お前ちゃんと愛音にくっついてろよ」 立希が楽奈に苦言を呈しながら、連れ立って歩く。柵越しに湾を臨む遊歩道で、微かな潮風を受けながら楽奈は手に持ったそれを立希に見せつける。 「まっちゃチュロスあった」 「ひと声かけろって言ってんの!」 「んー」 野良猫つかまえた──と、同じく探しに出ていた海鈴と愛音にメッセージを送る。 「一応みんなで探してたんだから……これでさらにはぐれたりしたら笑えないんだけど」 普段あまり足を運ばないところにいることもあり、いきなり同行者がバラバラに行動していることに不安の色を隠せない立希。 「……うみみんと愛音」 「あ、ほんとだ、海鈴いた。良かった──」 楽奈の目線の先、こちらに向かって軽く手を上げている海鈴の姿を見て、立希の顔に思わず安堵の笑みが浮かぶ。 「りっきー、心配性〜」 「うるさい」 そう言いつつも足取りを軽くしていく立希のことを、楽奈はチョロスを楽しみながら目を細めてじっと見ていた。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『幸せ者たち』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「そよ、話ってなんですの?こんな改まって」 既に日は落ち、暗がりに包まれた公園。祥子とそよは、ぎこちなく距離を空けて歩いている。 「……あのベースの子」 「海鈴がどうかしまして?」 「ずいぶん立希ちゃんと仲良いみたいじゃない」 「良いことではありませんの」 指先で自分の髪を遊ばせるそよを意に介さず、あくまで平静に相槌を打つ祥子。 「そよが心配するようなことは起きませんわ」 「そんなの……」 「海鈴は以前にも増してAve Mujicaの運営についての手伝いをしてくれてますし、それこそ立希がMyGO!!!!!に本気で取り組んでいるのはそよの方が理解しているのではなくて?」 「それは……」 迷いなく言い切る祥子に気圧され、まごつく様子のそよ。 「海鈴も立希も自分のバンドに一生をかけていて、その上でお二人は隣り合って生きていこうとしているのですわ」 幸せ者ですわね──そう零れ落ちた言葉が、しんとした公園にゆったりと響く。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『4/16、1日遅れでも』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「はあ……」 「今日はなんだか元気がないですね」 RiNGのカフェ。少しばかり暗い顔で食器を拭き上げている立希に、海鈴はカウンター越しに声をかける。 「昨日は一日中ソワソワしてたと思ったら今日はこれですか。忙しい人ですね」 「うるさい」 キッと睨みを効かせる立希だったが、すぐに意気消沈といった感じに表情を落とす。そんな彼女を見かねた様に、海鈴はカップの残りを飲み干し、口を開く。 「ふう、立希さん今日はもうバイト上がりですよね?……何か食べて帰りませんか?」 「……別にいいけど」 折角なのでいきたい場所があります──という海鈴に連れられ、口数も少ないまま歩く立希。黒色の、重厚感のある建物の前で海鈴が立ち止まる。 「ここって……」 「どうしたんですか?早く入りましょうよ」 海鈴はそう言って、微かな笑みを表情に浮かべながらその建物の──『ラーメン銀河』の入り口のドアを開ける。 「……ありがとう、海鈴」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『特別な時間』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「見せつけてくれますね」 「は?いきなり何?」 学校の自販機コーナー。飲み物を取り出す立希の後ろから、海鈴が唐突に声をかける。 「昨日のWebラジオです。千早さんとずいぶん仲がよろしいようで」 「あんなのわざわざ聞いてたの」 「千早さんにリンクを送ってもらったので」 仲が良いのはそっちでしょ──という立希の反論もお構いなしに、海鈴は表情をいつものそれに戻し、話を続ける。 「それにしても収録中の飲み物が水とは、素晴らしいプロ意識です」 「バカにしてんの?」 「いえ、普段はよくそういうものを飲まれているので」 そう言いながら、海鈴の視線が立希の手元──パンダのイラストが大きく描かれた紙パックのゼリー飲料に向けられる。 「……これは海鈴と一緒の時だけ」 思いもよらぬ一言を受け、パンダと目を合わせたまま固まる海鈴。少しの間を置いたのち、ゆっくりと顔を上げると、熱を持った真剣な眼差しがそこにあった。 「ここで、こうやって2人でいる時間は──私にとって特別だから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『隣り合う……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「楽奈ちゃん、猫に名前つけないの?」 「?……猫は猫」 ある日の夕暮れ。オレンジ色に染まる駐車場の一角に、数匹の猫たちと戯れるモーティスと楽奈の姿があった。 「でも、名前つけた方がぜったい楽しいよ!ミケとかトラとか……」 「んー?」 「さっきから楽奈ちゃんにくっついてるその子はアノンだね」 2人の視線の先、クリーム色の毛並みを持つ猫が、楽奈の足にその薄桃色の耳を熱心にすり寄せていた。楽奈はその猫の背を優しく撫でながら、新たに近づいてきた、しっかりした足取りの焦茶色の猫に目を移す。 「……りっきー」 「ふふ、本当だ。ムスっとしてる顔がそっくり……あっ」 その猫は2人の側を通り過ぎると、艶やかな毛並みの黒猫へと近づいていく。 「仲良しなんだね」 「いつもいっしょ」 楽奈と睦は、ぴたりと体を寄せ合って座る二匹の猫に、見知った2人の姿を重ね合わせていた。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『噂の2人』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ありがと〜にゃむち!」 「ど、どういたしまして……」 スマホを片手に朗らかに笑う愛音に、ぎこちない笑顔で応対する若麦。 「Ave Mujicaのメンバーとのツーショだいぶ溜まってきたな〜」 そう言いながら、愛音は先ほど撮ったばかりの写真をアプリ上で選り分けていく。同じアルバムにはカフェやライブステージ、学校の音楽室などで撮影した写真が並んでいる。 「あとはうみみんだけ!」 「あれ?うみことはまだなんだ?」 「いや〜王子様の守りが硬くて……」 「あー……噂の“立希さん”」 若干呆れ気味な様子の若麦に、手を口に当てながら驚きの声をあげる愛音。 「え!?そっちでも噂になってるんだ、りっきーやば〜」 「あんだけ毎日話聞かされてたらね……」 グループチャットで、打ち合わせの前に、バンド練習の休憩中に、ライブ前の控え室で──無表情のままさりげなく話題を上げる海鈴の姿を思い浮かべ、若麦は思わず苦笑してしまう。 「でもいつもすごく幸せそうだよね、あの2人」 「まあね〜!でも口を開けば惚気るのは勘弁してほしか〜!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『桜よりも……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ずいぶん散ってしまいましたね」 「もうすぐ4月も終わりか」 ある春の日。桜がささやかにこぼれ落ちる中、校舎の中庭を歩く海鈴と立希。 「桜吹雪に吹かれる立希さん、素敵です」 「そういうのいいから」 「……散り際が綺麗、だとは理解できますが、やはり少し寂しい気分にもなりますね」 「海鈴お前たまにセンチメンタルになるよね」 線香花火──いつかに海鈴がAve Mujicaについて評した言葉。舞い散る桜に当てられたように、少しだけ表情に陰りを落とす海鈴。そんな彼女の小さな不安を晴らすように、立希が口を開く。 「──季節の変わり目に、こうしていつも2人でいられるのは良いことでしょ」 「立希さん……」 歩みを止め、互いに顔を見交わす2人に、気持ちの良い春の風がやわらかに吹く。 「それに、寂しさってのはあんまり感じないかな」 立希がそっと海鈴の頭へ手を伸ばし、髪についた桜の花びらを摘み上げると彼女の頬に優しく触れて言う。 「世界で一番綺麗な花が、ずっとそばで咲いてるから」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『この曲は……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「Afterglowさんの曲ですか?」 「っ!……!」 横から突然海鈴に声をかけられ、驚いて手に持ったスマホを机の上に倒してしまう立希。そのスマホの画面には、海鈴の見知ったジャケット画像が表示されていた。 「これはこれは。新曲をお聴き下さり、ありがとうございます」 バツが悪そうにスマホとイヤホンをしまう立希をよそに、海鈴はわずかに得意げな笑みを浮かべる。 「『顔』は三角さんの抜群の歌唱力が遺憾無く発揮されている曲ですからね。本人に伝えてあげれば喜ばれますよ?」 「……違う」 一瞬の間を置いた後、海鈴は得心したように話を続ける。 「ああ、では祐天寺さんのドラムですね?対抗心が湧いてきますか?」 「……は?」 「なんですか?」 「本気で言ってんの?」 「……なんですか」 要領を得ない物言いに不機嫌な表情になる海鈴。立希はそんな彼女の手を取りながら、観念した様に口を開く。 「この曲は──海鈴のベースを聴かせる曲でしょ」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『お互いに……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「我らがAve Mujicaの1st Albumである『Completeness』はもうご購入されましたか?」 「買ってないけど……」 RiNGのカフェにて。海鈴は最近発売されたAve Mujica 1st Album『Completeness』を片手に、カウンターの向こうにいる立希へ話しかける。 「そんな立希さんにはこのティモリスのサイン入りのものを差し上げます」 「別にいらない」 「まあそう言わずに」 うんざりとした立希の表情も意に介さず、少しばかり興奮したような目つきでCDを押し付けようとしてくる海鈴。 そのやや強引な押しにわずかな含みを感じた立希は、表情を改めて海鈴に向き合う。 「……それをくれる代わりに、私に何して欲しいの?」 その言葉を聞き、海鈴は目を丸くして硬直する。 カウンター越しに真っ直ぐ見つめられた海鈴は、ベースケースから別のCDを取り出す。おずおずとそのCD ── MyGO!!!!! 6th Single『聿日箋秋』を立希に見せながら、遠慮がちに口を開く。 「……これに、立希さんのサインを入れて欲しいんです」 まったく──と呟きながら、立希は海鈴が顔の前に掲げているMyGO!!!!! 6th Single『聿日箋秋』のCDを手に取る。 「最初から素直にしてれば、もっと可愛いのに」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『あの2人なら……』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 「ねぇ、燈ちゃんは……神話に、星座になりたいって思ったことある?」 「ぉ……?」 騒がしさの滲む黒を、高層ビルの群れが擦る夜。煌々と光に包まれる煉瓦積みの階段に、双つの星が瞬いていた。 「宙で一緒にいられるの、永遠に……私は祥ちゃんにだったら射ち堕とされてもいいなぁ」 「ぉぁ……」 初華の言葉を聴いて、星にまつわる物語に想いを馳せる燈だったが、輝きに潜む陰りに表情をわずかに暗くさせる。 「ぁ……悲しい、話も……多いけど……」 「さっき見た夏の大三角もそうだったね」 先ほどのプラネタリウムのプログラムを思い出しながら、初華はぼんやりと空を見る。 「でも、恋人に会うために、それぞれ別の場所で頑張るなんて……」 そう呟きながら、燈へ顔を向ける初華。 「なんだか海鈴ちゃんと──」 「た、立希ちゃん、みたい……?」 顔を見合わせ、思わず笑みをこぼす2人。それぞれの傍でいつも助力してくれる、似たもの同士の顔を思い浮かべながら、視線を空へと移す。 「でもあの2人だったら仕事も恋も完璧にこなしちゃうよね」 「……た、確かに……!」 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 『その先へ』 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 煌々とした光に照らされる舞台。数多のきらめきが揺れる客席を俯瞰するそこで、天上の星々が輝きを放っていた。 金属を弾いた波が、硬い膜を打つ衝撃と混ざり合う。音の海に2人が立つ。 ベースのリズムが、彼女の身体の奥深くへ沈んでいく。ドラムの鼓動が、彼女の感情を優しく包む。 心の奥に沈めた言葉たちが、低く弾む音と共に泡のように昇ってくる。その泡を弾け散らすように、鮮烈な金属音が鳴らされる。 まるで恋文のような手紙の書き出しが、指先から音符へと姿を変える。声にならない想いが、旋律となり降り注ぐ。 お互いを感じ合い、音を編み続ける。分かれ道の先に広がる、地平の先、束の間の夜に降る音の花束。 永遠を望み続ける神話が、一瞬を紡ぎ続ける迷いが、過ぎ去る夜の面影に寂しさを覚える。寄せては返す声が、音が、星々を導く。 視線と視線が交わる。熱と熱が交わる。全身から込み上げる感情で、溢れんばかりの笑顔が見合う。言葉はなく、全てが語られる。 ──この一瞬が、2人にとっての永遠になった。 ⎈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈