港区赤坂、RENAグループの経営するとある高級料亭。 そこに現れたカップルは、場には不釣り合いと思われる程に若かった。 「ねえツカサ、この店……」 「ああ、こんな高そうな店、俺も初めてだよ。」 「そうじゃなくてツカサ、気づいてる?この店の店員、ほとんどがデジモンだよ。」 明らかに借り物と思しきスーツに身を包んだせいぜい十代後半の少年と、同じぐらいの年格好に見えるドレス姿の少女。 少女の方はメルヴァモンというデジモンであり、少年はそのテイマーで吉村司という名であった。 「わかってる……しかも多分、腕利きばかりだ。」 司は気づいていて誤魔化していたのだが、メルヴァモンにはその態度が微妙に気に食わなかったらしい。 二人を待ち受けていたのは、二人以上に場にそぐわない格好の人物だった。 背格好こそ成人男性だが、未来的な光沢の全身タイツとアーマー、帽子とサングラスの組み合わせは明らかにドレスコードを無視していた。 「待ってたッス、吉村司さん。」青年の口調もまた、場にそぐわないものだった。 「お客様、個室へご案内します。」和服姿のレナモンが声を掛けてきた。 「……あっ、お願いするッス。」青年の反応が一瞬遅れた。 三人は個室の中に入ると、レナモンは一礼して襖を閉めた。 「そうか……ミトさんはまだこの時間だとレナモンなんだ。」青年の独り言が意味不明なので司は無視した。 「どうぞ座ってくださいッス。ここなら絶対に秘密は漏れないッス。」 そう言うと同時に青年の体が一瞬強く光り、それが収まるとそこには赤毛の少年が立っていた。 「……たとえネオデスモンの眷属であろうとこの料亭、クズハママの聖域に忍び込むことはできない。」 少年は二人の真向かいに正座すると、深々と頭を下げた。 「まずは、俺の言葉を信じてここまで来てくれたことに礼を言います。」 どう見ても二人よりも幼い少年が、不相応に堅苦しい口調になった。 「俺の名前は穂村アタルと言います。25年後の、こことは違うリアルワールドから来ました。」 土下座姿勢のまま顔だけを上げて自分たちを見るアタル少年に、二人はやや腰が引けていた。 瞬時に姿が変わったこと、そしてその姿の変貌以上に口調と雰囲気がまるで別物になったことに警戒しているのだ。 「今日は俺がこの時代に来た理由、そしてお願いしたいことをお話します。」 「……その前に一つ訊いてもいいか?」体勢を整えた司が切り出した。 「なぜ、俺なんだ?俺たちの他にも強いデジモンやテイマーはいるだろ?」 「理由は二つあります。まず、タイムパラドックスを理解している人間が必要であること。」アタルの言葉に司は固唾を飲んだ。 彼が本当に未来人であり、そして自分が選ばれた理由も本当だとしよう。 その場合これから自分たちが巻き込まれるのはタイムパラドックスを引き起こしかねない大事件だということだ。 「もう一つは……他とは違う関係性のデジモンとテイマーを多く集めることが、敵の攻略に役立つから……らしい、です。」 「敵……敵はいったい何者なんだい?」自信なさげに答えたアタルに、メルヴァモンが食って掛かるように問いを重ねた。 「敵は、アルカナウィッチモン。」アタルは上半身を起こし、背筋を伸ばして真正面から二人を見る。 「俺の母、名張一華の力を封印したエンシェントウィッチモンの六代目……裏十闘士デジモンです。」 その頃、料亭の裏口付近。黒い一つ目の小さい何かが中に入り込もうとしていた。 しかし、近づくと見えない何かに弾き飛ばされて阻まれていた。 まるで途方に暮れるかのようにそれが佇んでいると、不意に風景の一部が揺らいだ。 その揺らぎから現れたのは、今までそこに潜んでいたのが信じられないぐらいに大きい――竜人型のデジモンだった。 そのデジモンは一つ目を手の爪で摘むと、自分の眼前へと持ち上げた。 「先生からの伝言だよ。今回キミの出番は無いってさ。要は出禁ってことさ。」 言われた方は特に反応はない。言った方も期待はしていない。 「エンシェントデスモンも■■■■もテイマーコレクターも等しく出禁だよ。例外はエンシェントモニタモンだけだってさ。」 鋼の黒い巨体から紡がれる、ハイトーンな声。 「だから安心して、だってさ。じゃあね。」そこまで言うとそのデジモンは一つ目を握りつぶした。 「現在は潜伏中のアルカナウィッチモンを捜索しつつ、彼女の軍団に対抗しうる戦力を集めているところです。」アタルは説明を続ける。 「軍団?ソイツも仲間を集めてるってことか?」メルヴァモンが疑問を差し挟む。 「アルカナウィッチモンには、デジモンをテイマー化する実験が行われていたん……いたそうです。」 やや言葉を詰まらせながら、アタルはそう言った。 「デジモンを……テイマー化する、実験?」 「また妙なこと考える奴がいたもんだな、誰か知らないけど。」 訝しげな顔をする司と、不愉快そうな顔をするメルヴァモン。 「実験の発案者はネーさ……五代目エンシェントウィッチモン、ネーバルウィッチモンです。」 その時のアタルがとても辛そうな表情をしていた理由を二人が理解するのは、暫く先の事になる。 「……封印前のアルカナウィッチモンは22体のデジモンをそれぞれのテイマーとして従えていたと聞いています。」 「……それはジェネラルじゃないの?」 「ジェネラルとは全く別のシステム、異なるロジックで実装された……と言っていました。」 メルヴァモンの疑問に今度は即答する。 「だから厳密にはテイマーでも無い……なれなかった存在、だそうです。」 一体何の目的でそんな事をしたのか、今聞かされた話だけでは推測しきれない。 しかし、自分たちが選ばれた理由については今の言葉でなんとなく察しがつく。 そう判断した司は、先を促すことにした。 「……そうか、話を続けてくれ。」 「今、名張一華は忍者に由来する全ての能力を封印され、頭脳と遺伝子以外は完全に常人と変わりません。」 彼女の能力を直接には知らないからか、二人の反応が薄い。 「その残った遺伝子と頭脳のせいでFE社などの敵対的組織に狙われ、知り合いのテイマーがいる異世界……別のリアルワールドに逃げ込みました。」 「逃げ込んだ異世界ってのはもしかしてアタルの居た異世界……?」司の問いかけをアタルは無言で頷いて肯定する。 「現在の彼女はかつてのような傍若無人な闊達さは鳴りを潜め、ずいぶんと大人しくなっています。」 「あのニンジャガールがねぇ……」メルヴァモンが意外そうな声を出し、アタルはちらりとそちらを見る。 (このメルヴァモンさん、昔の母ちゃんに会ったことあるのか……。)思考しつつも説明を続行する。 「彼女のパートナーであるエンシェントウィッチモン……正確にはそのサブサーバーコアは現在アルカナウィッチモンの支配下です。」 「サブサーバー……?」若いカップルは揃ってぽかんとした顔で頭上に疑問符を浮かべる。 「エンシェントウィッチモンはメインプロセッサーとサブサーバーのデュアルコア構成、らしいんです。」 自分も詳しくは理解していないので、ミスターXから聞かされた話をそのまま伝えるアタル。 「メインコアは現在休眠中で、システム:エンシェントウィッチモンはアルカナウィッチモンが自由にできる状態、なんだそうです。」 「……ちょっと待ってくれ。だったらなんでそのアルカナウィッチモンは身を隠してるんだ?」 「そうだ、ツカサの言うとおりだ。仮にも裏十闘士なんだろソイツ?」 次々に言う二人に対し、一呼吸おいてからアタルは口を開く。 「……メインコアが無いと出力が大きく下がるそうです。具体的には1%ぐらいだとか。」 『そんなにか……』二人の声がハモった。 「ですが厄介な相手に変わりはありません。」そこでアタルは両手を前に突いた。 「お二人には、アルカナウィッチモン討伐を手伝ってほしいのです。」 一切の澱み無いモーションで、アタルは頭を下げる。見事な土下座であった。 「失敗した場合、予想されるタイムパラドックスは……名張一華が出産するという事象の消失。」そこで彼は少し顔を上げる。 「つまり、俺と俺の兄弟が消えます。」 翌日、デジタルワールド。オアシス団の拠点の一室。 そこの廊下を二組のテイマーとデジモンが歩いていた。 片方は大人の姿に変身したアタルとエスピモン、もう片方はOLスーツに身を包んだ女性とペックモン。 「他の皆様はすでに部屋に集まっています。T-626号に相談して部外者立入禁止を通達済みです。」オアシス団員MK-1103号が歩みを止めずに告げる。 「でもまーダメと言われると逆に興味出すやつもいるからな。盗聴盗撮への対策はそっちでやってくれよエスピモンの小僧。」 ペックモンのダミ声はけたたましい早口で、声質の割に非常に軽快な印象を受ける。 「言っておきますが、あなたに対しての直接的な戦力提供は禁止されました。」MK-1103号の口調は至って平坦だ。 「タイムパラッドクスの危険性を鑑みて公安としては不干渉、オアシス団としても関知しない方針です。」 「まぁ……そうッスよね。」完全に予測通りなため、落胆した様子は全く無い。 「まっ、オアシス団の事務方として通常業務の範囲内でなら手伝ってやるさ。だからまーそれで勘弁してくんねぇかなぁ?」 こういう時のペックモンはジェスチャーがやたらと多く、耳だけでなく目にまでやかましい。 「それでいいよ。あんまり関わる人数が多いとボクも大変だし。」エスピモンの声は甲高くも素っ気ない。 「こちらです、どうぞ。」MK-1103号が突き当りのドアを開けた。 アタルが中に入ると、すでに卓にはSL-691号、RD-10号、そしてMX-35号の3組の団員が着いていた。 MK-1103号がドアを閉めると、アタルは変身を解いた。 すでに知っていたSL-691号とMX-35号らとは違い、RD-10号こと河戸リンドウは一瞬驚き、直後に納得したような顔をした。 「今日は、みなさんに大事なお話があります。」 その後、アタルは彼らに昨日司にしたのと同じ説明をした・ 自身が未来の異世界から来た存在であること。この時代で自分の母親が窮地に立たされていること。 それを解決できなければ自身とその兄弟が消えてしまうこと。 そのために、アルカナウィッチモンの討伐に協力してほしいということ。 「リンドウさんとカメリアさんは、アルカナウィッチモンに『特攻』がある、って先生は言ってました。」 そう言うアタルの顔は昨日以上に苦渋に満ちていた。まだ未熟な彼はそれを隠しきれていない。 「……あと、この事はどうか、ユキトやサゲやケイコみたいな小さい子とか、D-626号には黙っててほしいんだ。」 その表情のままアタルは懇願する。 「もし失敗しても、俺は最初からいなかったことになって、消失したことは誰にも認識できない。」その言葉にリンドウが眉をひそめる。 「だったら、最初から何の心配もさせないほうが……」 「それでいいのかい?」リンドウが割って入る。 「君は本当にそれでいいのかい?」アタルは泣きそうな視線を一瞬だけリンドウに向けると、すぐに逸らした。 「いいんです、リンドウ、さん……。」 「詩奈さんにも?」さらに割り込んできたのは、MX-35号こと色井美光だ。 「明陽さんや跳雨さん、今まで楽しくやってきた団のみんなにも秘密にするの?」 「……言わないで、ください。」絞り出すような、少年の声。 「お願いです、みんなに心配かけたくないんです。何でも、するから。」 「何でもって忍者クン……」リンドウの右手が伸びるも、虚空を掻いて戻される。 「私は、私とリンドウさんと静之さんは、心配かけてもいいんだ?」 「!……っ、いや、それは。」美光の指摘に言い澱むアタル。 「それぐらいでいいだろ、ミコちゃん。」リンドウが美光を制止する。 「彼の気持ちを察してやれ。だいたい……」リンドウはうなだれる少年を横目で見る。 「だいたい、異世界の未来人なんて知れたら忍者クンを利用しようと狙う奴らが出てくる。だからこの事は……」 「私たちだけの秘密にする、ってことですねぇ。」今まで一言も発しなかったSL-691号こと向市静之が口を開いた。 「そういうことだ。嬢ちゃんたちも、パートナーデジモンのみんなも。頼んだよ。」 リンドウの言葉に静之、テントモン、パルモンは素直に頷き、マクラモンは無表情のままタブレットに『了解』とだけ表示した。 一方で美光はふてくされた顔のまま、不承不承という体で首を縦に軽く振った。 用事があるというリンドウが退室し、静之もいつの間にか姿を消していた。 「……だってミコ、隠し事せずに正直に言えって。」ぽつり、とアタルが話しはじめた。 「静之お姉さんは俺の正体知ってるし、リンドウさんは必要な人だったし……」 「……そんなの、私だって分かってる。」互いに視線は交わさぬまま、言葉だけが交わされる。 「俺はどうなってもいいんだ。ただ、俺の母ちゃんが悲しいまま生きてくのは嫌だし、それに……」 「それに?」 「……俺の弟や妹が消えるのは、耐えられないっていうか。」まだ視線は交わらない。 「あいつら、まだ十年も生きてなくて、まだまだ楽しいことがこの先いっぱいあるのに、全部ナシになるとか可哀想過ぎるだろ。」 「……あなた、兄弟いたんだね。」先ほど聞かされたことを再確認する。 「……ごめん、嘘ついた。」 「えっ何?兄弟いないの?」驚いてアタルを見ると、彼の目がまっすぐに美光を見ていた。 「俺、消えたくない。」その目には涙が滲み、今にも溢れんとしている。 「アタル……」少年は椅子に座り込むと、両手で赤毛の頭を抱える。 「どうなってもよくない。俺やだよ、静之お姉さんや、ユキトや、リンドウさんと、別れたくないよぉ……」 「ア……!」頬を伝うものに気づいて美光は止まってしまう。 「ミコともっとカプ談義とかしてたいよぉ。俺、ここのみんなのこと、好きなんだよぉ!」 細い声が嗚咽を呑み込んで、程なく心の裡を曝け出す叫びへと変わる。 「頼むよぉ!助けてよぉ!俺まだ消えたくないよぉ!!……怖いよぉ……」 やがて叫声は力を失い、少年の精神力が如きか細さに戻った。 部屋の貸し出し時間が終わる寸前まで、アタルはすすり泣き続けた。 (了)