ここ一週間、身体が変だ。  ここ一週間は毎日、店を閉める直前にお客さん――號さんが来店している。そして彼がラーメンを注文し、食べ終えた頃、いつも俺の身体に異変が生じてしまう。  股間周りを、まさぐられるような感覚。尻に太い何かを入れられて激しく擦られるような感覚。腹の中に熱い液体を大量に注がれるような感覚。それらが一気に襲いかかったように錯覚し、俺は無様に射精してしまうんだ。  俺は、どうしてしまったのだろうか。  異変が生じるのはいつも、號さんが来店した後だ。まさか、彼が俺に何かをしているのか?  ……いや、彼を疑うのは良くないな。身体に異変が生じる前に、彼は俺に指一本触れていない。  きっと、俺が悪いんだ。体調管理ができていない俺が。  § 「今日も来たで。牙虎くん」 「……い、いらっしゃいませ」  閉店間際。今日も號さんは来店した。相変わらず、彼は人の良さそうな笑みを浮かべている。こんな人が、俺に害を与えるなんて思えない。少しでも疑った自分が恥ずかしいな。  ……何でだ。何故、俺は號さんを見ただけで生殖器を硬くしてしまうんだ。興奮、しているのか? 彼を見ただけで……。  彼がラーメンを食べ終えた後、またあの異変が生じるのだろうか。体内を、めちゃくちゃにされてしまうようなあの感覚が、襲いかかるのだろうか。 「いつものを頼むで。店長」 「……はい」  一瞬、俺の股間に生暖かい風が当たったような気がした。これは、異変が生じる前兆だろうか。  今日だけは、何も起きてほしくない。店の奥に虎鉄が居るんだ。虎鉄の前で、無様な姿を晒すのだけは避けたい。 「あっ! イノシシのおじちゃんだー!」  何というタイミングだ。虎鉄の事を考えていたら、店の奥から虎鉄が飛び出してきた。 「久しぶりやな。虎鉄くん」  虎鉄の姿を見た號さんが、優しい声色で挨拶をした。 「……虎鉄。もう遅い時間だから、奥で寝ていろと言っただろう」  店の奥には休憩所がある。そこには虎鉄専用の布団があり、この子はそこで寝ていたはずだ。 「おひるねしたからねむくないもーん!」  虎鉄は笑みを浮かべながら、號さんの膝の上にぴょんと飛び乗った。たった一度しか会っていないのに、この子は號さんにすっかり懐いているようだ。 「ほな、おっちゃんと一緒にワルいことをしよか?」 「ワルいこと? なにするのー!?」 「おっちゃんは今から君のパパが作ったラーメンを頂くんやけど、一人じゃ食べきれんから虎鉄くんにも少しわけたる。一緒に夜食を頂こうや」 「いいの!? 食べる食べるー!」  夜食か。夜遅い時間に食事を摂取すると、エネルギーが消費されにくい。肥満の原因になるし、確かに悪い事だ。  ……だが、たまには良いだろう。虎鉄と號さんの笑顔を見たら、ダメだと言えない。 「おっしゃ。悪の組織、夜食貪り隊結成や。息子さんを悪の道に引きずり込んで悪いなあ、牙虎くん」 「いや、こちらこそ申し訳ない……」  俺は、作り上げたばかりのチャーシュー大盛りラーメンに、虎鉄用の小皿とフォークを添えて號さんに提供した。 「お代は結構っす。虎鉄と仲良くしてくれて、ありがとうございます」  俺の身体に異変が生じた後、號さんはいつも俺を気遣ってくれる。そのお礼もしたい。 「いやいや、払うもんはきっちり払わせてもらうで。ワイは店長のラーメンに惚れ込んどるんや。価値があるもんにはしっかりと金を払わんとワイの気が済まん」 「ですが……」 「さあ、虎鉄くん! 麺が伸びない内に食うでー!」 「うん!」  強引に話を打ち切られてしまった。  ……何か、無いだろうか。少しでも彼に恩を返す方法は。  § 「號さん。その、これを……」  號さんかラーメンを食べ終えたのを見計らって、俺はデザートを提供した。勿論、虎鉄の分も。 「これは……杏仁豆腐か?」 「……はい。試しに作ってみたものです。試作品なので、今度こそお代はいりませんからね」  この店によく来るお客さんから、甘味を提供してはどうかという声を度々頂いていた。  ラーメン屋で提供しても違和感がないデザートは何か。それを考えた結果、杏仁豆腐はどうだろうかと思い、最近の俺はひたすらに杏仁豆腐を作って練習していた。  試作品の提供という形なら、彼もお代を払うとは言わないだろう。 「そういう事なら、遠慮なく頂くわ。サンキュな」  そう言ってくれて良かった。あとは、彼らの口に合えば良いのだが……。 「あまくておいしーね!」 「せやな。甘くて、優しい味や」  喜んでくれるかどうか不安だったが、二人とも笑顔で食べてくれた。一安心だ。  § 「ごっそさん。ほんま、美味かったわ」 「……本当ですか? 嬉しいっす」  美味しいという言葉は、何よりも嬉しい。喜んでもらえて、本当に良かった。 「……ところで店長。ここに虎鉄くんがおるっちゅー事は……」 「はい。虎白……いえ、俺の妻は、今夜友達の家に泊まるようで……」 「そか。ま、奥さんにも息抜きは必要やろうしな」  普段、俺はこの店で働きっぱなしだから虎白ばかりに虎鉄の世話をさせてしまっている。號さんが言うように、たまには家庭から離れて息抜きする時間も必要だろう。  俺としても、もっと虎鉄と過ごす時間が欲しいしな。たまには父親らしい事をしなければ。 「息抜きといえば、號さんは大丈夫ですか? 仕事も忙しそうなのに、最近は毎日この店に来て……」 「気にせんといて。体力だけは無駄に有り余っとるから」 「……確か、農業をされているんですよね」 「平日はそうやな。でも、体力が有り余っとるから週末はちょっとした副業もやっとるで」 「副業?」  そんなに働いて大丈夫なのだろうか。確かに彼は頑強そうな見た目をしているが、働きすぎて倒れないか心配だ。  一体、どんな副業をしているのだろう。気になる。 「ま、ほぼ趣味みたいなもんや。店長に話すほどのものじゃあらへん」  秘密にされてしまった。  ……何故だろう。彼に隠し事をされるのは、嫌だ。どうして俺はこんなに彼の事が気になるのだろう。  § 「うおっ、もうこんな時間やな」  時計を見ると、二十三時半を過ぎていた。閉店時間はとっくに過ぎている。それなのに、號さんは元気いっぱいの虎鉄に付き合ってくれた。感謝しないと。 「……號さん。今日は虎鉄と遊んでくれて、本当にありがとうございました」 「ありがとー!」 「こっちこそ、楽しかったで。ありがとな」   虎鉄も名残惜しそうだが、今日のところは號さんとさよならだ。帰ったら、虎鉄を寝かしつけないとな。  ……くそっ。こんな時に、どうして俺の股間は硬くなっているんだ。號さんの近くに居るだけで、こうなってしまう。俺の身体はどうなっているんだ。 「うあっ……? あっ、う、ぐおおおおぉぉっ!?」  嘘だ。まさか、こんなタイミングで……!?  全身が、熱い。  硬くなった一物が温かいものに包まれて、激しく吸引されたような感覚。胸の突起を激しく摘まれて、刺激されたような感覚。そして、尻に太くて長いものを入れられて激しく出し入れされた後に、大量の液体を腹に流し込まれたかのような感覚。  それらが、一気に俺の身体を襲った。  ダメだ。虎鉄の前で、見苦しい姿を見せたくない。なのに、どうしてだ。どうして俺は、情けない声を出しながら射精しているんだ……! 「どうしたの!? とーちゃん!」 「ちか、づくなっ……! 父ちゃんは、大丈夫、だから……っ!」  頼むから来ないでくれ。虎鉄には見られたくない……! 座り込みながら、情けなく吐精してしまう俺の姿なんかを……! 「虎鉄くん。一旦、奥の部屋に行ってくれんか?」 「え? でも……」  気を利かせた號さんが虎鉄を止めてくれたようだ。  ……彼がこの場に居てくれて、良かった。 「っく……! 虎鉄、號さんの言う通りに、するんだ……っ!」 「う、うん……」  虎鉄は、店の奥へと走っていった。  ……ひとまず、助かったと思って良いのだろうか。 「……大丈夫か、牙虎くん。立てるか?」 「すみ、ません……。俺、また迷惑を、かけて……っ」 「ええんや。気にせず、迷惑をかけてくれ。頼られた方が、ワイも嬉しいからな」  どう考えても、號さんに気を遣わせてしまっている。気遣ってくれるのは嬉しいが、より自分が惨めに思えてしまう。何で、俺の身体はこんな風になってしまったのだろう。 「……牙虎くん。その様子やと、腰が抜けて立てへんようやな」 「……はい」  立たなければ。そう思うのに、足に力が入らない。 「なら、ワイがおぶって家まで送るわ。確か、牙虎くんの家はこの店から近いんやろ?」 「そんな事を、號さんにさせる訳には……」 「言ったやろ。体力は有り余っとるって。君と虎鉄くんをおぶって歩くくらい余裕や」  これ以上、彼に迷惑はかけたくない。 「君たちを放って帰ったら気になって眠れそうにないわ〜。明日は睡眠不足でぶっ倒れるかもしれん〜。困ったわ〜」 「……すみません。お言葉に甘えます」  迷惑はかけたくないが、今の俺にできる事はない。虎鉄のためにも、號さんに頼らなければ。 「そうと決まれば、帰るで。虎鉄くんと一緒にな」 「……よろしく、お願いします」  ――何故だろう。今の俺にとって、この選択は最良だったはずだ。それなのに、何故こんなに胸騒ぎがする?  してはいけない選択をしてしまって、もう引き返せない。そんな、嫌な予感がした。